どんより曇った冬空の下、凍てつきそうに寒い。
所用で竹橋に出て、そのまま徒歩で飯田橋に向かったのだが、地下鉄に乗るべきだったとすぐに後悔。二十分ほど歩いたら体の芯まで冷え切ってしまった。こんな日にはおでんを肴に熱燗で温もりたい。あるいは鍋ものか焼鳥か。とはいえ懐具合と相談して、今日のところはぐっと我慢。空腹を抱えてとぼとぼ家路を急ぐ。
そういう侘しい日だからこそ、せめてこんなグルメ本を読みながら帰ろう。
森まゆみ
「懐かしの昭和」を食べ歩く
PHP研究所
2008
この著者だから谷根千がらみのグルメ本かと思いきや、浅草・銀座・新橋・神田・日本橋・渋谷・赤坂・新宿・高田馬場、さらには横浜までがカヴァーされ、昔懐かしい店の数々が紹介される。鰻、鮨、泥鰌、焼鳥、天麩羅、豚カツ、餃子、カレー…。料理の種類も実に豊富だ。著者はただ食べ歩くだけでなく、店主や料理人に親しくインタヴューし、それぞれのお人柄や料理一筋の苦労話を上手に聞き出している。
採り上げられた店は全部で二十八。小生のような者でも足を踏み入れたことのある庶民的な料理屋が何軒かある。登場順に挙げると
ゲルマニア (ドイツ料理/銀座)
ナイルレストラン (インド料理/銀座)
万世本店 (肉料理/神田)
スヰートポーヅ (餃子/神保町)
西村フルーツパーラー (果実・喫茶/渋谷)
まい泉 (豚カツ/青山)
スンガリー (ロシア料理/新宿)
失礼ながらどこも抜群に美味しい店というのではないが、独特の雰囲気が床しく懐かしく、読んでいると再訪したくなるのは著者の巧みな筆致の故か。
行ったことのない店のなかでは、なんといってもおでんの名店「
新橋お多幸」だ。
豆腐、白滝、大根、玉子、それも食べやすく切ってある。
「この練り辛子も特別につくってるんです」
ナスのしぎ焼き、玉子焼き、漬物。どれも一手間かけてあり、おいしい。その上、手頃な値段だ。
なんだか読んでるそばから涎が出てくる。
この「新橋お多幸」は、かつて銀座四丁目の和光裏にあった名店「お多幸」から暖簾分けした店だという。この銀座の「お多幸」は殿山泰司さんのご実家である。
新橋のこの店は昭和七年(1932年)創業。現店長・木下善充氏の話をいろいろ聞きながら、著者の観察眼はさすがに鋭い。次の一節に思わず唸ってしまう。
木下善充さんはおたまであくをすくい続ける。あくなき闘い。ときどき長い菜箸で、そっとなでるように玉子やがんもをつゆに沈める。まるでおかあさんが子どもの肩を湯船に沈めるように。
う~ん巧いなあ。この一節のためだけでも本書は手に取る価値がある。