今年の正月で何が腹立たしかつたかと云へば、観る気もなかつたのに迂闊にも維納からの生中継でニュー・イヤー・コンサートをちらと瞥見して了つたこと。
ワルツやらポルカやらが打ち止めになつた頃合で、ハイドンの告別交響曲の終楽章がちやうど始まつたところだつた。さうか今年はハイドン年だつたのかと思ひながら暫く眺めてゐたら演奏の途中で奏者が次々に席を立つて舞台を去つていく。
勿論此れは同曲の成立にまつはる高名な伝説、すなはちエステルハージ侯が夏の離宮に楽団を同行したまま休暇を取らせない為に楽師達がホオムシックに罹つたのを気遣つた楽長ハイドンが一計を案じ、此の曲の終楽章の後半で楽師達が一人ずつ演奏を止めて舞台から居なくなるやうに仕組んだといふ故事に因む。尤も此れが果たして実話であるか否かは保証の限りではないのだが。
だからかう云ふ演出があつても構はないのであるが、其れは其れとして当日の舞台で繰り広げられた演技の醜悪さと云つたらなかつた。
奏者達はさりげなく楽譜を閉ぢて一人また一人と立ち去らうとする。そこ迄は宜しいのだが、指揮者が其の都度わざとらしく吃驚したり狼狽へたりするのがどうにも目障りで堪らない。終ひに舞台上に提琴奏者が二人だけ残されるや、指揮者は奏者の一人の脇にベツタリ寄り添ひ、諂ふやうな仕草で宥めたりすかしたりする。なんとも見るに堪へぬ噴飯物の茶番であり、虫唾が走る思ひがした。すぐさまスヰッチを切つたが、観てはいけないものを観て了つたと云ふ嫌な後味がずつと尾を曳いた。
あれから一箇月以上経つた今も思ひ出すだに業腹である。折角の記念年の始まりを打ち壊しにされたやうな気分だ。そこでふとさゝやかに口直しすることを思ひつく。一種の悪魔祓ひとでも云はうか。善は急げ。此れからでも遅くはあるまい。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン:
交響曲 第百番 ト長調 「軍隊」
交響曲 第四十五番 嬰へ短調 「告別」
協奏交響曲 変ロ長調*
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン放送管弦楽団*
1958年、1965年6月*、ウィーン、モーツァルトザール
ユニバーサル ビクター Westminster MVCW-18019 (1998)
LP初期に澎湃と湧き起つたハイドン復興の波に乗つて、ヘルマン・シェルヘンは矢継ぎ早に交響曲録音を新興ウェストミンスター社の為に行つた(44, 45, 49, 55, 92, 93, 94, 95, 96, 97, 98, 99, 100, 101, 102, 103, 104)。今日の耳には少しばかり重々しく響くかも知れないが、逸早くロビンズ・ランドン校訂新全集の譜面を用ゐた先見性を含め、シェルヘンの解釈は遙か時代に先んじてゐた。インテムポで剛毅明晰な行き方は彼がノイエ・ザッハリヒカイトの世代に属することの証であらうが、半世紀を経た今も其等の演奏は些かも古臭く感じられない。
幸ひなことに第百番「軍隊」と第四十五番「告別」の二曲はステレオ録音が残された(「軍隊」は再録音)。とりわけ「告別」は知る人ぞ知る稀代の名演である。其の第四楽章を聞いた者は誰しも驚愕を隠せないだらう。
各パートの奏者は自らの演奏を終へると銘々席を立ち、歩いて退場する。つまり創演時のエピソードをそつくり其の儘に踏襲してゐる訳であるが、此の演奏の真にユニークなのは、退場する際どの奏者もそつと一言「アウフ・ヴィーダーゼーエン」と挨拶して去つていく処にある。一人去り二人去り、その都度「左様なら」の声が其処此処で聴こゑ、さうして音楽が次第にか細くなつていく。
此処から先はもう実際に耳にして頂くのが早道なのであるが、其の効果はなんとも絶大である。最後に残つて二人きりになつた提琴奏者が互ひに小声で「アウフ・ヴィーダーゼーエン」を云ひ交はす処で全曲は静かに終はる。此れこそが正しい「告別」のありやうなのだ。