体力も気力も充実していた三十代前半とは違い、もう無理のきかぬ体であるのは先刻承知しているはずなのに、昨晩は今日の準備と称して四時過ぎまで夜鍋仕事にかかりきり。そのあとも寝つけなくなり、血走った目で朝六時のニュースを観る羽目になった。それから一時間ほど仮眠をとって約束の十時半に遅れぬよう家を出た。
神保町の編集部での打ち合わせはきっかり一時間で済んだので、久しぶりに信山社(とは昔の名で、岩波ブックセンターというらしい)に寄って新刊を立ち読む。これはと思った二冊をレジに差し出す。昼近くなったので表に出たら、そこで少しばかり立ち眩みがした。
幸いなことに、この界隈には美味しい珈琲屋がまだ随分と残っている。交差点に程近い地下にある「トロワバグ」に足早に駆け込み、気付薬代わりに濃い珈琲をちびちび飲む。先ほどレジで貰った銀色の手提げ袋から恭しく一冊を取り出す。
吉田秀和
永遠の故郷 薄明
集英社
2009
奥付の刊行日は2月10日だから、ちょいとフライング気味の入手。いいのだ、ほかでもない、待ち侘びていた吉田さんの新著なのだから。
月ごとの『すばる』誌の巻頭であらかた読んでしまっているのだが、こうして一書に纏められると趣も改まり、じっくり再読しようという心持ちになる。
本書で採り上げられた歌曲を章ごとに記すと以下のとおり。
夜明けまで
ビゼー曲、ユゴー詩 《てんとう虫》 《スペインのセレナーデ》
《聖母の子守唄》
ブラームス曲、ロペス・デ・ベガ詩 《宗教的子守唄》
雨に歌う
ブラームス曲、クラウス・グロート詩 《雨の歌》
ドビュッシー曲、ヴェルレーヌ詩 《私の心に涙が落ちる》
プーランク曲、アポリネール詩 《雨が降る》
パリの夜と晝(ひる)の歌
プーランク曲、アポリネール詩 《さあ、急げ、急げ》 《蛙亭》
《十七世紀の詩による陽気なシャンソン》
プーランク曲、17世紀古詩 歌曲集《陽気な歌》
ルイーズ・ド・ヴィルモランの三つの詩
プーランク曲、ヴィルモラン詩 《ルイーズ・ド・ヴィルモランの詩による三つの歌》
《カリグラム》抄
プーランク曲、アポリネール詩 歌曲集《カリグラム》
《涼気と火》
プーランク曲、エリュアール詩 歌曲集《涼気と火》
L の歌
マーラー曲、リュッケルト詩 《リュッケルトの詩による五つの歌》
う~ん、心ときめくラインナップだ。周知の歌も馴染のない曲も、聴いてみたくてうずうずしてくる。さあ、今日はそろそろ帰路に就こう。そうして家でゆっくりプーランクか、それともマーラーをかけながら、吉田さんの達意の訳詞を味読するのだ。