(昨日のつづき)
ガリーナ・ヴィシネフスカヤ Galina Vishnevskaya だって? まさか。
ヴィシネフスカヤといえば知らぬ者なきロシア随一のソプラノ歌手。世界最高のチェリスト、ムスチスラフ・ロストロポーヴィチの奥方でもある。その彼女と同姓同名の映画女優がいるのか、と咄嗟にそう考えた。スクリーンに映し出された老ヒロインはでっぷり肥って、フランスの名女優シモーヌ・シニョレの晩年の体型を彷彿とさせはするものの、かのボリショイ劇場のプリマドンナ、凛とした立ち姿の美しい、あの不世出のタチヤーナ歌いとはおよそ似ても似つかない。彼女はいったい何者なのか。
終映後、売店に立ち寄りプログラム冊子を手にとって、心底から驚愕した。ガリーナその人だったのである。呆然と立ち尽くし、その場で解説を貪り読む。
ソクーロフ監督はぜひこの映画のヒロインにと、引退して久しい大歌手に出演を懇願したのだという。孫の顔を見に、それだけの目的で戦場に赴く名もない老女。世界中の歌劇場で、リサイタル会場で満場の聴衆を魅了した彼女に、この頑固一徹で、取りつく島のない無愛想な老婆を演じさせるなんて、全くどういう意図なのか理解に苦しむ。口説き落とした監督も監督なら、申し出を快諾し、ひと月ものチェチェン・ロケに勇んで参加したガリーナもガリーナだ。
ムスチスラフ・ロストロポーヴィチがレニングラード・フィルハーモニー来日公演の同行ソロイストとして初来日したのは1958年のこと。六歳の小生はもちろん聴いていないが、そのとき彼はインタヴュアーの質問に答えて、「僕の嫁さんはボリショイ歌劇場のプリマドンナ。全ソ連で一番の美女を射止めたんだヨ」と惚気てみせたそうな。でもその言葉に嘘はなかった。
(まだ書きかけ)