昨年末、フリードリヒ・グルダの弾いたバッハ・アルバムが出た。グルダはもう故人だから昔の録音に決まっている。
ベルリンの放送局とグルダ家に埋もれていたテープから選んだものだという。ただし音質は芳しくない、という断り書き付きだ。だから鳴り物入りの登場でなく、あくまでも人知れず「ひっそり」という感じだ。
グルダのバッハといえば、あれは1970年代だったろうか、ドイツのBASFレーベルから「平均律」全曲が出たと記憶するが、そのときは聴かずじまい。評判はどうだったのだろうか。おおかたグールドやリヒテルの陰に隠れて、話題にする人も少なかったのではないか。
なんとなく胸騒ぎがして、今度こそぜひ耳にせねば…と思っていたら、お正月早々ご近所ブログの maru さんが逸早く聴いて「とても魅力的な唯一無二のバッハです」と絶賛されていた(
→ここ)。そうか、やっぱりそうか、ならば中古で探してみようとトライしたが、発売からまだ日が浅く、おいそれと見つからない。
原稿が仕上がったご褒美に何かCDでも、とふらり立ち寄ったお茶の水のショップでいきなり Gulda, Bach の文字が目に飛び込んできた。
"Gulda Plays Bach"
バッハ:
イギリス組曲 第二番
イタリア協奏曲
トッカータ ハ短調 BWV 911
イギリス組曲 第三番
旅立つ最愛の弟に寄せるカプリッチョ
グルダ:
前奏曲とフーガ
ピアノ/フリードリヒ・グルダ
1955‐69
Deutsche Grammophon 477 8020 (2008)
曲目にざっと目を通して、漠とした胸騒ぎは確かな予感へと変わった。これはなんとしても聴かなければならない。「イギリス組曲第二番」「イタリア協奏曲」それにハ短調の「トッカータ」と来れば、これはもう…どうしたって…
おわかりだろうか。これらの楽曲はマルタ・アルヘリッチがレパートリーにしている(むしろ「していた」だろうか)数少ないバッハなのである。
彼女が弾くバッハの独奏曲といえばほかに「パルティータ第二番」があるだけで、この四曲のうち「イタリア協奏曲」を除く三曲でLP一枚分の「バッハ・アルバム」を残している(1979年)。誰もが知るとおり、アルヘリッチの弾くバッハはその天衣無縫の自由奔放さにおいて比類がない。思うさま振る舞うことがバッハなのだ、と言わんばかりの屈託のなさ。それでいながら、転調のたびごとに崇高な光が差し、思いがけない展望がパッと開けていく、というバッハならではのカタルシスを存分に味わわせてくれるのだ。
アルゼンチン生まれの彼女にどうしてこんなに素晴らしいバッハが可能なのか。そして、彼女はなぜこの四曲だけをレパートリーに入れて偏愛したのか。1970年の初来日で実演に接して以来、それが四十年近く解けない謎だったのだ。
(30日につづく)