(承前)
さすがに英語版ウィキペディアは行き届いている。ざっと抄訳させていただく。
カール・サダキチ・ハートマン
Carl Sadakichi Hartmann
1867-1944
ドイツ人と日本人の血を引く批評家・詩人。長崎の出島に生まれ、ドイツで育ち、1894年アメリカに帰化。初期モダニズム運動に関わり、ホイットマン、マラルメ、エズラ・パウンドと交友があった。詩作には象徴主義と東洋の影響が色濃く、詩集『海に漂う花々』(1903)、『わがルバイヤート』(1913)、『日本のリズム』(1915)などがある。評論として『芸術にみるシェイクスピア』(1901)、『日本の美術』(1904)など。1910年代ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジに暮らし、「ボヘミアンの王者」の異名を取った。英語で初めての俳句を詠み、最も早く写真評論を手がけたひとりでもある。後年ハリウッドとバニングに暮らし、ダグラス・フェアバンクス主演の映画『バグダッドの盗賊』に宮廷魔術師役で出演した。1944年、フロリダ州セント・ピーターズバーグの実娘を訪問中に歿した。
う~ん、簡にして要を得た巧みな略伝である。
「ボヘミアンの王者」とはサダキチの代名詞となった呼称である。ドイツ語・フランス語に通じ、ヨーロッパ世紀末の空気をじかに吸った彼は、ニューヨークの文化人の間で新知識の普及者として一目置かれていた。20世紀初頭、この街には巴里のカルティエ・ラタン、倫敦のソーホーのような一郭、若い芸術家の卵たちが屯す溜まり場が姿を現していた。グリニッチ・ヴィレッジである。
サダキチはここに1880年代に住みつき、いつしかヴィレッジきっての有名人士として知られるに至る。老ホイットマンに何度も面会し、談話録を刊行したのを皮切りに、自作の詩集や詩劇や評論集を矢継早に世に送った。日本の地を踏んだことがなく、日本語も解しなかったようだが、自らの出自から日本と東洋の文化に強い関心を抱き、浮世絵を中心に日本美術史を通観した『日本の美術』(1904)や、浮世絵に傾倒した米人画家ホイッスラーの研究書(1910)、英語による自作のハイクを集めた『短歌と俳諧:日本のリズム』(1915)、さらには仏陀や孔子(!)を主人公にした戯曲をものした。彼に詩作はエズラ・パウンドにも一定の影響を与えたといい、また1890年代に早くも芸術としての写真の可能性を論じたのも先駆的業績と評価される。
生まれついての風来坊、筋金入りの自由人で、いかなる束縛も嫌ったサダキチは、アルコールと煙草、奔放な恋愛遍歴、広範な交遊関係に彩られたボヘミアン・ライフに浸りきり、よくいえば勝手気儘、あえていうなら無軌道で非常識で犯罪者すれすれの無頼漢ぶりを発揮した。一再ならず警察沙汰になることもあったらしい。
ハートマンのどこが興味深いかって、なんといってもその特異な外観である。180センチはあろうかというひょろりとした長身。顎のしゃくれた独特の顔立ちは一見してサミー・デイヴィス・Jr によく似ている。日本人のようで、日本人離れした容貌の持ち主なのである。
ネット上に手頃な肖像写真を見かけないのだが、例えば
→ここをご覧いただこうか。好都合なことにサダキチが執筆した写真論(「ダゲレオタイプ」1912)も併読できる。
(まだ書きかけ)