日頃から整理整頓が苦手で、確かに架蔵していることはわかっていても、いざ必要となると決まって探し出せない。
昨年末、ふとしたきっかけから山田吉彦の『モロッコ』(岩波新書、1951)を再読し、彼が きだみのる名義で書いた本を読み返そうと思い立ったものの、肝腎の一冊が見つからなかった。
それが昨日、別の探し物をしていてひょっこり姿を現した。
きだみのる
道徳を否む者
新潮社 一時間文庫
1955
この「一時間文庫」は今も大概の古本屋で二、三冊は見つかる、ありふれた新書版叢書である。巻末のラインナップをざっと見渡すと、さすがに半世紀の時の試練に耐える本はそう多くないが、小松清の『ヴェトナム』、ジェームズ・サーバー『SEXは必要か』(福田恒存訳)、ヴィクトール『大飢饉』(近藤等訳)など、忘れがたい書目が名を連ねている。わけても本書はわざわざ探し出して読むに値しよう。
二十年ぶりくらいで再読してみる。文字どおり一時間かけて夢中で読了。戦前の日本少年の魂の彷徨をつぶさに記した書物として、これはちょっと比類がない。
家から勘当され放浪の旅に出た不良少年が、はるばる流れ着いた函館のトラピスト修道院で、見知らぬ初老のフランス人と運命的な邂逅を果たす。少年の名は山田吉彦、フランス人はジョゼフ・コットといった。東京の語学学校「アテネ・フランセ」の創設者として名を残す人物である。
親からも親戚からも愛想尽かしされた「少年」は、このフランス人を親代わりに育ち、フランス語と古典語をマスターし、やがて遅蒔きながら洋行し、ソルボンヌで古代社会学を修める。生まれながらの風来坊に思慮深い教養人を接木したような、コスモポリタンで破天荒な自由人、山田吉彦=きだみのる はこのようにして形成されたのだ、と本書は問わず語りに告げる。
恩師の死の報にたじろぎ、葬儀の場で脳裏に閃く少年期のフラッシュバック。
何かの理由から精神が極度に鋭敏になつて、例えば死の直前のように切迫と緊張の中にあると、過去は相次ぐフラッシュに照らされてそれを経験した精神の中で迅速に流れるものである。そのとき想起された事件はどんなに小さくても、一本の花、一つの匂い、一つの歌詞、曲の断章であつてもそれは関係したすべての事実、いやその時期全体を極めて短い時間の流れの間に明瞭に浮び上がらせ感情させて消え、次で他のフラッシュと点滅するものである。そのような状態に私はあつた。
いつもの「気違い部落」ものとは明らかに違う。すでに五十を超えていた きだ が少年時代に返ったかのように瑞々しく真率に過去を語る。どうしても語りたい、語らねばならぬのだ、という強い決意、そのただならぬ切迫感が、本書を類い稀な青春回想記としてのレクイエムへと高めたのだ。