原稿の冒頭がうまい具合に滑り出し、これは今日中になんとかものになりそうだ、とちょっと安心して一息つく。
先日、同じく西船橋駅構内の本屋で手にしたもう一冊は文芸誌『すばる』の新年号だ。勿論その巻頭エッセイが読みたかったのだ。
吉田秀和
永遠の故郷
《涼気と火》 ──加藤周一に
実はこのエッセーの主題もフランシス・プーランクなのだ。前号に引き続き、吉田さん鍾愛の歌曲の話。今回はポール・エリュアールの詩に付曲した歌曲集について。
吉田さんは世評の高い歌曲集『かの日、かの夜 Tel jour, telle nuit』よりも、第二次大戦後に作曲された歌曲集『涼気と火』のほうがお気に入りらしい。
[…]
でも、私はどちらかというと、このあと一九五〇年に作曲された 《涼気と火 La fraîcheur et le feu》 が好きだ(ただし、詩のほうは敗戦の屈辱の真最中に書かれた)。全七曲からなるものだが、曲のまとまりも一段進んで、それぞれの曲がその前とそのあとの曲とのつながりの仕方や全体の目ざす進行の模様の鮮やかさといった点でも見事な出来である。
なるほど確かにそうかもしれない。ただし、そう言い切るほど小生はこの歌曲集に馴染んではいない。ただ漠然と聴き流してしまっている。
吉田さんは前回と同様、それぞれの詩の日本語訳を自ら拵えながら、手書きの譜面を例示しつつ、懇切丁寧に一曲一曲その魅力の源泉を探り当てていく。
ああ、なんという贅沢な企てだろう。神様、どうか九十五歳の吉田さんにたっぷり時間をお与え下さい。石井桃子さんやマノエル・ド・オリヴェイラ監督(つい三日前に百歳の誕生日を迎えられた)に対してあなたがなされたように。
さあ、それではこれから、その吉田さんの訳詞をゆっくり味読しながら『涼気と火』を聴くこととしよう。
この曲にもプーランクの自作自演が遺されている。スイスで盟友ベルナックと共演した貴重な放送録音だ。
"Francis Poulenc: Hier et aujourd'hui"
フランシス・プーランク:
歌曲集『涼気と火』(詩/ポール・エリュアール)*
歌曲集『カリグラム』(詩/ギヨーム・アポリネール)*
『パリジアナ』(詩/マックス・ジャコブ)*
オーバード**
フルート・ソナタ***
悲歌****
ピアノ/フランシス・プーランク
バリトン/ピエール・ベルナック*
ヴィクトール・デザルツェンス指揮 ローザンヌ室内管弦楽団**
フルート/エドモン・デフランチェスコ***
ホルン/エドモン・ルロワール****
1955年6月29日*、53年1月16日**、58年7月11日*** ****、ローザンヌ
Cascavelle RSR 6126 (1999)
追記)
吉田さんが今回のエッセイの標題に「加藤周一に」とわざわざ添書した理由が今わかった。