さあ連載原稿にとりかかろう。でもその前にちょっとだけ読書。何かお手本になるような名文でも読んで、少しでもそのご利益に与ろうという魂胆、というか、まあそういう一種のおまじない。
まずは先日(奥付では12月10日)出たばかりの村上春樹の音楽エッセイの文庫版といこう。
村上春樹
意味がなければスイングはない
文春文庫
20082005年に出た単行本を踏襲した装丁だが、地色が違う。以前の青色に対して今度は桃色。(
→ここ)。
この話題は前にも取り上げた気がするのだけれど(ありました、
→このエントリー)、この本のカヴァー・デザインは、懐かしいLP初期のヴァンガード・レコード社 "Bach Guild" シリーズのアルバム・カヴァー・イラストレーションからの転用なのである。正確を期すと、その古い50年代のイラストが再発CDにも採用され(例えば
→これ)、偶々それを見て気に入った村上の発案で(ここは推測だが)、本書カヴァーを飾ることと相成ったのであろう。
因みに、この稚気あふれるチャーミングなドローイングの描き手はおそらくジョゼフ・ロウ(Joseph Low)だと思う。
本書では村上がいつものジャズばかりでなく、ノン・ジャンルでさまざまな種類の音楽を横断的に、というか実に軽やかな足取りで、いろいろ聴き、且つ語っているのが好もしい。今日ちょいと拾い読みするのは「
日曜日の朝のフランシス・プーランク」というエッセイ。この文章がスガシカオ論とウディ・ガスリー論の間に何気なく挟まっているのが本書の面目躍如たるところ。
村上は1988年春の倫敦滞在時、日曜日の朝に小さな会場で聴いたジャン=フィリップ・コラールの「オール・プーランク・プロ」のピアノ・リサイタルの思い出から説き起こし、プーランクが「朝にしか作曲の作業をしなかったという事実」を紹介し、「彼は一貫して朝の光の中でしか音楽を作らなかった、それを読んだとき、そうか、やっぱりなと僕は深く納得した」と書く。巧みな導入だ。
そうして彼は、高校生の頃に初めて耳にしたプーランクとして、ホロヴィッツが若い頃に録音した「パストラル」と「トッカータ」の演奏を紹介したあと、作曲者自身が1950年に録音した自作自演の「三つの常動曲」「夜想曲 ハ長調」「フランス組曲」へと筆を進めるのだが、今朝の小生は棚から別のCDを取り出す。やはりプーランク自らが参加した演奏である。
"Francis Poulenc: Compositeur et pianiste"
フランシス・プーランク:
仮面舞踏会*
悲歌**
フルート・ソナタ***
ピアノ、オーボエ、バスーンのための三重奏曲****
ピアノ/フランシス・プーランク
バリトン/ピエール・ベルナック*
ルイ・フレモー指揮 パリ国立オペラ座管弦楽団独奏アンサンブル*
ホルン/リュシアン・テヴェ Lucien Thévet**
フルート/ジャン=ピエール・ランパル***
オーボエ/ピエール・ピエルロ****
バスーン/モーリス・アラール****
1957、58、59年、パリ
Adès ADE 680 (1987)
改めて申すまでもあるまいが、プーランクのエッセンスの詰まった不朽の、至高の、という形容が野暮であるなら、愉悦感に溢れた決定的な名演である。フランス随一の腕自慢たちが実にもう楽しそうにプーランク自身と戯れる。これは確かに村上の言うように、日曜日の朝にこそ聴くべき音楽だなあとしみじみ実感。