明日から空模様が思わしくないらしい。出掛けるなら今日のうちだ。
というわけで混雑を覚悟で六本木の国立新美術館のピカソ展に足を運ぶことに。
「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」というのが正式名称。何も物語っていない標題であるが、出品作のすべてはパリの国立ピカソ美術館からもたらされた。この一事が肝腎である。マレー地区の古い石造りの館に開設されたこの美術館のコレクションはどれもがピカソ自らの旧蔵品、すなわち画家が終生手放すことなく大切に手許に置いていた作品なのである。
油彩、パステル、グアッシュ、素描、版画、書物挿絵、パピエ・コレ、レリーフ絵画、アッサンブラージュ(ブリキと針金の構成)、ブロンズ彫刻。十代の天才少年期から「青の時代」「薔薇色の時代」を経て、キュビスムへ、古典回帰へ、さらに破天荒な晩年へ。出品作百七十点余いずれもが生き物めいた生々しさと「手で触れるような」実在感を帯び、紛れもなく天才の刻印を捺されている。描き込まれた大作であれ手すさびめいた小品であれ、有名無名を問わず、展示作品の悉くが震撼すべき傑作に思えてくる。これは誇張や修辞ではない。本当にそうなのだ。凄いことではないか。こんな展覧会、滅多にない。絶対的にお勧め。
もちろん大変な混雑。人垣に遮られてなかなか壁面に接近できない。
だがそこはさすがピカソ。個々の作品から強烈なオーラが発散されていて、離れていてもそれが痛いほど肌に突き刺さる。だから遠方からでも堪能できるのだ。充分に観て、したたかに打ちのめされた、という実感とともに会場をあとにした。
余勢を駆ってその足で東京ミッドタウンのサントリー美術館へ。ここでもピカソ展。こちらは「巨匠ピカソ 魂のポートレート」という標題。
残念ながらこちらは不発。作品数が六十と少ないし、同じくパリの国立ピカソ美術館からの出品ながら、展示コンセプトが中途半端で雑駁だし、何より(普段は屏風や掛軸が飾られる)硝子ケース内の展示は作品の魅力を半減させ、著しく興醒め。
ともあれ一気に二百数十点のピカソを通覧するなんて、滅多にできる体験ぢゃない。つくづく思い知らされたのは、ピカソほど抽象美術と無縁な者はいないということ。どんなに単純化してもそこに現実のリアルな手応え(端的に言うなら「生身の人間」だ)が付いて回る。そのための実験であり破壊であり古典回帰だったのだ。
さすがに草臥れ喉も渇いたので、少し歩いて俳優座裏の「る・ぽーる」で美味しい珈琲をいただく。少し元気を取り戻したところで、そのまま六本木通りをアークヒルズまで歩き、サントリーホールへ。今日もここでコンサートを聴く。
18:00- サントリーホール
メシアン: 微笑
ルトスワフスキ: ピアノ協奏曲*
ベートーヴェン: 交響曲 第五番
ピアノ/クリスティアン・ジメルマン*
鄭 明勳 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
ルトスワフスキの協奏曲はもともとジメルマンのために書かれ、今回が日本初演だという。同じポーランドのシマノフスキがルービンスタイン向けに協奏曲を書いた故事をふと思い出す。初めて耳にしたが、稠密に組み立てられた充実作として聴いた。ジメルマンの清冽なピアノを十全に生かした書法も目覚ましく、終楽章のスリリングな緊迫感に鳥肌が立つ。チョン・ミュンフンの用意周到な指揮ぶりもさすが。
納得がいかないのは曲目編成の拙劣さ、無神経さ。ルトスワフスキのあとに誰が「運命」交響曲なぞ聴きたいと思うだろうか。正気の沙汰と思えない。別の日には「悲愴」交響曲が組まれているそうで、これもどうかと思う。なんとも釈然としないまま会場をあとにした。