オーギュスト・シュヴァリエ、親しい友よ
僕は解析学においていくつか新発見をしてきました。代数方程式理論に関するものと、積分関数についてのものです。
このような書き出しで始まる友人宛ての手紙のなかで、エヴァリスト・ガロワはこれまでに自分が数学の分野でなしえた成果を大急ぎで記し、自分の肉体が滅びてもそれらが後世の評価を仰ぐことができるよう、そのあらましを説明した。1832年5月29日から30日にかけてのことである。
わずか二十歳という若さで、彼は死を覚悟していた。
早熟な数学の天才であるとともに過激な共和主義者でもあったガロワは、1830年の七月革命後の政情不安のなかで革命運動に没頭し、師範学校から放校処分に処されたうえ、二度にわたって逮捕、投獄された。
詳しい事情は今もって詳らかでないが、彼は些細な色恋沙汰がもとで知人から決闘を挑まれる。勝ち目がないことを悟ったガロワは、その前夜、一睡もせずに友人に手紙を書き綴り、自らの生きた証である数学上の新知見を走り書きしたのである。
だが、僕にはもう時間がない。Mais je n'ai pas le temps...
手紙のなかでガロワは悲鳴をあげるように何度かこう書きつけた。決闘は数時間後に迫っていた。それが自分の最後の手紙であり、遺書になることを自覚しながら。
数学史上に燦然と輝く夭折の天才エヴァリスト・ガロワの決闘前夜が、このほど、そっくりそのまま芝居になった。チラシの口上を引く。
五時間後にボクは死ぬ。
あのニセ共和主義者の弾丸に額のど真ん中をぶち抜かれるだろう。
ボクは浮気女のせいで死ぬ。二十歳で。
クロティルド、お前は涙の一滴も流さないだろう。
ボクの人生は裏切りだらけ。
今、若さがボクを裏切る。
数学の研究以外はすべて失敗。
どのくらいしたらこの真価が認められるだろう?
わが友オーギュスト、見守っていてくれ。
すべてがこの手紙に書かれている。
この芝居は三月にオランジュ演劇祭で初演されたばかりの新作なのだそうだ。昨日たまたま神楽坂の黒テントの小劇場「イワト」前を通りがかった際、このチラシが目にとまって心惹かれたのだ。なにしろエヴァリスト・ガロワといえば、中学生時代の小生の憧れのヒーローだったのだ。かつて日本でも広く読まれた物理学者レオポルド・インフェルトの筆になる評伝『神々の愛でし人 Whom the Gods Love』(1948/日本語版:市井三郎訳、日本評論社、1950)を手にして夢中になったのである。
11月7日 19:00- 11月8日 14:00- 19:00-
東京日仏学院 エスパス・イマージュ
エヴァリスト・ガロワ
Evaliste Galois
原作・台本/ブリュノ・アルベロ
演出/横田桂子
出演/オリヴィエ・ガルシア、工藤牧、太田麻希子
ヴァイオリン演奏/宮原祐子
朝、主催者に電話で当日券があることを確認して、少し早めに家を出る。小雨のちらつくうそ寒い空の下、飯田橋から早足で歩き、一時過ぎに無事チケットを入手、日仏学院に隣接する売店「リヴ・ゴーシュ」でフランス書籍・雑誌とCDを物色。
今日の芝居の原作だという Bruno Alberro の中篇を収めたペーパーバックを手に取る。全編が一人称で語られた小説だ。決闘前夜、友に手紙をしたためながら、ガロワ自らがその短かった生涯を「走馬灯のように」回想する…という内容であるらしい。ほうぼうに手紙が引用されているので、そこだけササッと拾い読みする。
四十数年前に読んだインフェルトの『神々の愛でし人』の記憶がうっすらとだが蘇ってくる。あれは本当に力の籠った評伝だった。因みに意味深長なタイトルは古代ギリシアの劇作家メナンドロスの一節「神々の愛でにし人は夭折す」に拠るものだ。
定刻を少し過ぎて芝居は始まった。小生は一番乗りなので図々しく最前列中央に陣取る。ここは平土間舞台だから、二列目以降は見づらいのだ。
予測したとおり、劇はほぼガロワ青年の独白で進められる。死が刻一刻と迫り来るのを肌で感じながら、親友への最後の手紙をしたためる。立ち上がって苛立たしげに部屋を歩き回り、それまでの長からぬ人生を回顧しながら、周囲の無理解に憤り、革命への情熱を迸らせ、つれない恋人への満たされぬ想いをぶちまける。
ガロワ役のオリヴィエ・ガルシアは、ロマン主義時代の悩める青年というよりも1968年当時の怒れる学生といった風情だが、役づくりは万全で、台詞回しも自然そのもの。早口のフランス語なので一割も聴きとれないが、幸い梗概が正面のスクリーンに字幕投影されるので、大体のところは了解できる。
(まだ書き出し)