つい先ほど友人からのメールでフランスの指揮者ジャン・フルネの訃報を知らされた。享年九十五。大往生である。
1913年生まれの彼は2005年に東京都交響楽団を振ったのを最後に引退した。晩年はさすがに衰えが隠せなかったというが、そもそも九十を過ぎてなお指揮台に立てるだけでも驚きだ。
東京のオーケストラをほとんど聴かない小生は、数えるほどしかフルネの生演奏に接していない。今でもはっきりと記憶しているのは1998年12月16日、サントリーホールで催されたドビュッシーの歌劇『ペレアスとメリザンド』全曲の演奏会形式での上演である。
『ペレアス』といえば、1958年このオペラが日本初演されるにあたり、フルネは初めて日本の地を踏んだ。企ての主唱者でこのときメリザンドを歌った古澤淑子さんが、懇意にしていた名匠アンゲルブレシュトに来日を慫慂したところ、高齢を理由に断られ、「わしの代わりに推薦できる若い指揮者がおるぞ」とフルネの名を挙げたのだという。確かにこの時点でフルネは『ペレアス』全曲盤を録音した四人の指揮者のひとりであり(あとはデゾルミエール、アンセルメ、クリュイタンス)、アンゲルブレシュトの言葉に偽りはなかったはずだ。こうして日本との絆が結ばれたフルネは、その後も頻繁に来日を重ね、ベルリオーズやドビュッシー、ラヴェルにとどまらず、ダンディ、ピエルネ、デュカ、フローラン・シュミットといった珍しいレペルトワールもあらかた披露しているはずだ。
1998年の『ペレアス』公演は日本初演から数えてちょうど四十周年の記念すべき催しだった。もうあれからさらに十年経って細部の記憶は霞んでしまったが、お世辞にも「歴史に残る名演」とはいえなかったと思う。都響のアンサンブルに問題があり、繊細とは程遠い響きがしていたし、奈良ゆみのメリザンドにもいたく失望した(もっとも、その前年パリで震撼すべき上演を見聞してしまい、並大抵の演奏には満足できなくなっていたこともある)。
結局それがフルネの生演奏を聴いた最後の機会になってしまった。
さらに時間を遡ると、これは前にも書いたことがあるが(
→ここ)、まだ駆け出しの音楽ファンだった高校生の頃、実況放送を通じてフランス近代音楽の魅力を教えてくれたのは、N響を振ったジャン・フルネの高雅な指揮姿だった。
ここで改めてそのとき見聞きした演奏会プログラムを書き写しておく。
1969年9月24、25日/第528回定期 東京文化会館
ピエルネ: バレエ音楽「シダリーズと牧羊神」
ダンディ: フランスの山人の歌による交響曲 ピアノ=井上二葉
サン=サーンス: 交響曲 第三番1969年9月29日/臨時演奏会 東京厚生年金会館
ベルリオーズ: 歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲
サン=サーンス: ヴァイオリン協奏曲 第三番 ヴァイオリン=海野義雄
ドビュッシー: 牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー: 交響詩「海」1969年10月14、15日/第529回定期 東京文化会館
ベルリオーズ: 交響曲「イタリアのハロルド」 ヴィオラ=白神定典
プーランク: バレエ組曲「牝鹿」
ルーセル: 交響曲 第三番すべて
ジャン・フルネ指揮 NHK交響楽団もしも放送局のアーカイヴにこれらの演奏録音が残っていたなら、なんとしても聴いてみたいものだ。とりわけルーセル。二楽章末尾で田中千香士の弾く独奏ヴァイオリンのハスキーな音色が四十年後の今も耳に残っている。どの曲を振っても、フルネの紡ぎ出す音楽は、背筋をピンと伸ばしたその指揮姿と同様、ハッタリや衒いとはまるで無縁、しっとり落ち着いて滋味豊かだった…ような気がする。
極東の幼い聴き手をフランス音楽へと導いてくれた恩人の冥福をお祈りする。