慌ただしさにかまけて時間が矢のように飛び去ってしまう。いかんいかん、火曜日に観た芝居の感想の続きを書いてしまわねば。
10月28日(火)14:00- シアタークリエ(日比谷)
私生活 Private Lives
台本/ノエル・カワード
演出/ジョン・ケアード
翻訳/松岡和子
美術/二村周作
照明/中川隆一
音響/本間俊哉
衣裳/小峰リリー
出演/
内野聖陽 (エリオット)
寺島しのぶ (アマンダ)
中嶋朋子 (シビル)
橋本じゅん (ヴィクター)
中澤聖子 (ルイーズ)
二十分の休憩を挟んで第二幕は、第一幕の数日後(だと思う)のパリ、アマンダの隠れ家ふうのアパルトマン。五年ぶりに再会して焼け棒杭に火がついたアマンダとエリオットは、新婚カップルのような熱々ぶり、他愛ない睦言を交わしたり、傍らのピアノを弾きながらデュエットで唄ったりする。そしてお決まりの痴話喧嘩。
第一幕に較べ、内野のエリオットも寺島のアマンダもよほど調子が出たのか、会話にも弾みがついてなかなかに快調。元の親密なカップルに戻って軽口を叩きながら睦み合う、という関係性は演じやすかったのだろう。主役ふたりは文学座で同期だったそうで、そのせいか昔馴染の男女の親密さがごく自然に滲み出ていた。原作どおり、ここで内野はノスタルジックな小唄『いつかめぐり逢うだろう Someday I'll Find You』をピアノを弾きながら口ずさみ、軽快な『船出しよう Sail Away』を寺島とデュエット。初演時のノエルとガーティを彷彿とさせる、といったら褒めすぎだろうが、内野も寺島もずいぶん達者に唄う。どちらもノエル・カワード作詞作曲の佳曲だが、前者は原作どおりの挿入歌、後者は別のミュージカル "Ace of Club"(1950)からの流用。ホントはここで "If You Were the Only Girl in the World" が唄われるはずなのだが。
睦まじい元夫婦であるがゆえに、腹蔵なくフランクな会話を取り交わすうち、いつしか互いに罵り合い、取っ組み合いへと展開していくあたりの流れが、この芝居の見どころ、演じどころだろう。演出家ケアードがどこまで日本語の会話をコントロールできたかはともかくとして、このあたりの演技はなかなか見応えがあったし、機関銃のように繰り出される台詞がちゃんと明瞭に届いていたのはよかった。
そこらじゅうの家具調度を薙ぎ倒し、部屋を目茶苦茶に散らかすドタバタ騒動に、客席は大いに盛り上がったのだが、第一幕の「分別盛りのお行儀の良いふたり」がキチンと印象づけられていないために、「鍍金が剥がれて本性が現れた」という感じに乏しかったのが難点。これはスラプスティック・コメディではないはずだ。
終幕は同じアパルトマン。ドーヴィルのホテルに置き去りにされたシビルとヴィクターがパリに到着、エリオットとアマンダの隠れ家を探り当てる。嵐のあとの翌朝のような部屋に目を剥くふたり。こうして二組の新婚夫婦が一室に会して、憤懣と未練と悔恨と開き直りが入り混じった奇妙な応酬が続く。この辺りのカワードの作劇術の巧みさといったら比類がない。第一幕ではほとんど受けの芝居だけで見せ場のなかった中嶋(シビル)と橋本(ヴィクター)も本領を発揮し、なかなかいい味を出していた。そしてやってくる思いがけなくも皮肉な大団円。
絶妙なウェルメイド・プレイに拍手喝采。でも、それはつまり台本が素晴らしいのであって、演出家が何をどう意図したのかはさっぱりわからなかったし、ソフィスティケイティッド・コメディの醍醐味を味わうには至らなかった。
もしも自分がプロデューサーで、キャスティングの全権を委ねられたら、はたして誰を配役するだろうか。帰り道でいろいろ思案した揚げ句、妹は(往時の)細川俊之と木の実ナナの名を挙げた。おおそうだ! そうに違いない。『ショーガール』は間違いなく、わがニッポンに出現した数少ないカワード的な味わいをもった作品に違いない。そういえば、十五年前に銀座で観たカワード劇『陽気な幽霊』の忘れがたい舞台、その演出者はほかでもない、福田陽一郎その人だったのである。
蛇足の耳より情報をひとつ。
当夜入手したプログラムに拠れば、アンドレ・プレヴィンは目下ノエル・カワード原作によるオペラを作曲中とのこと。それも『逢びき Brief Encounter』なのだという。来春、ヒューストン歌劇場で世界初演されるらしい。その台本を手掛けたのが今回の演出家ジョン・ケアードというのだ。う〜ん、観てみたいなあ〜