今日は大学で五回目の講義。テーマは「浴衣姿でくつろぐプロコフィエフ」、すなわち1918年のプロコフィエフの日本滞在についてである。
とはいうものの、いきなり核心に触れるのも躊躇われるので、ショスタコーヴィチが音楽を担当した二本のアニメ映画『バザール』(1935)と『おろかな子ネズミ』(1940)をまず鑑賞。
そのあと、同じ児童文化への関わりという括りからプロコフィエフの『ピーターと狼』(1936)へと話題を転じ、プロコフィエフ未亡人リーナが朗読を担当したCDをちょっと聴かせ、そのリーナが晩年に尽力して設立に漕ぎつけたロンドンの「プロコフィエフ・アーカイヴ」とその運営母体「プロコフィエフ財団」について紹介。ひょんなことから彼らと小生との結びつきが生じ、思いがけなく標記のテーマで財団の研究誌 "Three Oranges Journal" に論考を執筆することになった事のなりゆきへと話を繋げた。
折角なので、この五月に小生が寄稿した論考、すなわち徳川頼貞との接触を綴った "Yorisada Tokugawa and the story of an unrealised commission" と、大田黒元雄との交遊を論じた "Motoo Ohtaguro and Serge Prokofiev: an unexpected friendship" (共同執筆)の二本をコピーして配布した。
「どんなことでもいい、自分が面白いと思ったら、その興味をずっと永く持ち続け、深めるべきだ。いつかきっとそれが役立つ日がくる。そのときのために備えておこう」。これが今日の講義の教訓なのであるが、年若い学生たちにはなんのことやら了解できなかったろう。要は「好奇心を絶やすなかれ」ということなのだが、う~ん、単なる自慢話としか解されなかったのだとしたら悲しいなあ。
教室には鴻野わか菜先生のほか、次回の講師である井上徹さんもお見えになったので、ひどく緊張したが、どうにかこうにか時間内に語り終えた。毎回コピーの手配や機器の操作でお手伝い下さった大学院生の朴さんに篤く礼を言い、握手して別れた。ああ、これで終わったぞ!
何やら全身に解放感を覚え、少しだけ自分に褒美をしたくなって、千葉で途中下車。近くの山野楽器に駆け込み、ピエール・モントゥーやピエール・フルニエの放送録音(ともにTahra)、オスバルド・ゴリホフの "Oceana"(Deutsche Grammophon)を矢継ぎ早に手に取る。なに、どれも千円均一のバーゲンなのだ。
そのあと駅前地下街の洋菓子屋でタルトの詰め合わせを買う。これは家人へのささやかな手土産である。
帰宅すると、どっと疲れが噴き出し、そのまましばらく眠ってしまう。
ほどなく家人が外出から戻り、いきなり「今年の文化勲章は誰になったと思う?」と問われた。「ああ、ノーベル賞の受賞者たちだろ?」と応じたら、「そうぢゃなくて」と語気強く言う。なんでもドナルド・キーンに決まったのだという。あれだけの仕事を成し遂げた人なのだから当然すぎる受賞だが、これはやはり嬉しい。かてて加えて、田辺聖子と小澤征爾も同時受賞とのこと。いずれも当然至極、文句なしの人選だ。でもこの三人が並ぶのはなんだか可笑しい。