大学での授業も今日で四回目。あと一回で終了だ。
今回のテーマは「ロシア絵本」。これまで採り上げたマレーヴィチ、バレエ・リュス、ショスタコーヴィチに較べ、まだしもとっつき易い題材かもしれない。
パソコンの画像を用いず、OHP(実物投影)で絵本を映すやり方なので、どこまで魅力が伝えられたか心許ない。やはり絵本は手にとってページを捲らなければ始まらないのだ。
後半はマルシャーク作・ツェハノフスキー絵の『郵便』(1927)を少し詳しく紹介した。たまたま聴講されていた鴻野わか菜先生にその一部を朗読していただき、そのあと同じツェハノフスキーが二年後にアニメ映画化した『郵便』(サイレント、1929)を上映した。滅多に観られない稀少な映像なのだが、1920年代という特別な時代を、学生たちは果たしてどう受け止めたろうか。
大学への往還の車中では、これから書く連載原稿のための下調べ。葛飾北斎の『冨嶽三十六景』を採り上げようと思っているのだが、なかなか考えが纏まらない。実は明日が締切日なので内心かなり焦ってもいる。
昨日から読んでいた津野海太郎の回想を読了。
津野海太郎
おかしな時代 『ワンダーランド』と黒テントの日々
本の雑誌社
2008
数年前、ピンチヒッターとして和光大学で一年ほど教えたとき、図書館や廊下で何度か津野教授の姿をお見かけすることがあった。かつて黒テントの論客として鳴らし、晶文社の編集者としても、一連の植草甚一ものなど幾多の名著を送り出した。畏怖すべき傑物といえよう。本書は1960年前後から70年代初頭にかけて、津野さんが芝居の演出と雑誌・書籍の編集の二股をかけつつ精力的に活躍した時代を回顧した自叙伝である。
前半に綴られる60年代の左翼系文芸雑誌に集う作家群像や、黒テント結成に到る「アングラ演劇」黎明期のエピソードは興味津々ではあるけれど、その時代の空気を吸ったことのない者にとっては「別世界の出来事」の感が否めない。1952年生まれの小生ですらそう感じてしまう。
後半になると、がらりと様相が一変し、若者文化、それもカウンター・カルチャー全盛期としての70年代が到来する。副題にある『ワンダーランド』とは、彼と高平哲郎が手掛けた新機軸の雑誌名だが、事情があってほどなく『宝島』と改題を余儀なくされた。この顛末については、すでに高平哲郎の回想『ぼくたちの七〇年代』(晶文社、2004)でも詳述されているのだが、叔父・甥ほど年の違う二人が組んで、祖父にあたる世代の植草甚一を「責任編集」に迎え、サブカルチャー・マガジン刊行に向け奔走するくだりが実に面白い。
残念ながら、小生はこの時点(1973)ではまだイタリア・ルネサンスの勉強に没頭していて、この雑誌の登場と瓦解とをリアルタイムで体験できなかった。口惜しいことだ。ところがその次の年(1974)、ひょんなきっかけから唐突に同時代文化の渦に巻き込まれる。津野さんの回想はちょうどこのあたりで終わってしまうのだが、そこに自分自身の見聞体験を接木することで、70年代のトーキョー・カルチャーの変遷のあらましが思い描ける気がした。
そんな個人的な読み方を許してくれるのが本書の本書たるゆえんである。筆者は自らを「ごくあたりまえの混乱したガキのひとりだった」と規定し、その肩肘張らない文体は、こちらに向かって、「ところで君は君自身の時代をどう生きてきたかい?」と問いかけてくるように思えたのだ。