A marché, a beaucoup marché ... いやはや歩きに歩いたぞ!
(フェルディナン・ラミュ『兵士の物語』より)
というわけで、今日は昼から夕刻まで、横浜界隈を歩きに歩いた。家人の万歩計は軽く二万歩を突破。
集合場所は京浜東北線=大船線の根岸駅。この駅前に降り立つのは、ユーミンのファンクラブの面々と丘上のレストラン「ドルフィン」を訪れたとき以来だから、実に三十三年ぶり。
早く着きすぎたので、駅前のドトールで珈琲とサンドウィッチによる腹拵え。
約束の正午を少し回って参加者六人が顔を揃えたところで、引込線に沿ってテクテク二十分ほど歩くと、三渓園の裏口に到着。この場所にはかなり以前に一度来たことはあるけれど、じっくり観るのはこれが初めて。他の仲間たちも初体験だというので、広壮な日本庭園に散在する古建築を丹念に訪ね歩く。いやあ、これは凄い! 由緒ありげな建物が次から次へと出てきて吃驚。明治から大正にかけて、生糸王・原三渓が各地の歴史的建造物を買い集めて移築したものだという。ひとつひとつの建物が立派だし、小高い丘が背後に迫るロケーションがたいそう素晴らしい。ちょっと京都の北山か東山にでも来た気分。
われわれ全員が圧倒されたのは、岐阜の白川郷から移築された江戸時代の庄屋の家。見上げるほど大きな合掌造りの古民家で、ここだけは内部を公開している。靴を脱いで上がり込む。大家族の暮らしを偲ばせる部屋割り。竈や台所に置かれた当時の生活用具。囲炉裏には実際に薪がくべられ、室内にはいつも煙が漂う。急な階段を二階に上がると、煤で黒光りする太い部材が間近に迫って圧巻。一同ものも言えぬほど感動した。
折から「横浜トリエンナーレ」会期中とあって、園内の滝付近には中谷芙二子の霧のインスタレーションが設えられ、ときおり神秘的な(人工の)霧を発生させていた。しばらく眺めていたら、白服・白帽・下駄ばきの痩躯の男性が忽然と現れた。田中泯だ。パフォーマンスに先立つ写真撮影とのことだが、ほどなくまた人工の霧が漂ってきたところで、野次馬のわれわれも写真をパチリ。
そのあと、丘の上に聳える室町時代の三重塔を見学し、坂道を下るとさすがに草臥れた。もうかれこれ三時間近く歩き続けたことになる。園内の記念館でお抹茶をいただく。渇いた喉に濃茶が美味い。
ヨコハマを歩こうというアイディアは、今日の参加者でこの街の住人でもある畏友エヌの発案になるもの。一切の交通機関を用いずひたすら歩くというのも、同じその彼が言い出したことだ。そうすることで、横浜の懐に奥深く分け入り、普段は見えないその素顔に触れようという目論見なのである。一同は抹茶とお菓子ですっかりくつろぎ、しばしそのまま坐っていたい気分だったが、エヌの「さあ、そろそろ」の一声でしぶしぶ立ち上がる。
三渓園をあとにしたのが三時半頃。エヌに先導されるままに、本牧界隈の住宅街を突っ切り、険しい坂を登り降りし、鬱蒼たる公園を横切ったかと思うと、時の止まったような商店街で奇妙な銭湯を目にしたり、暗渠になった川筋を延々と歩いたり。山手公園に至る急坂を登り、フェリス女学院大の脇をすり抜け、山手女子中学とフェリス付属の間の細い坂道を下ると、いきなり見憶えのある街角に出た。元町商店街だ。三渓園からここまででざっと一時間余り。もう両脚は棒のようになり、足の裏と脹ら脛が痛い。でも弱音を吐きたくないので、一同ひたすら黙々と歩く。元町まで来れば、もうあと一息だ!
終着点の横浜中華街に到着したのは五時二十分頃。とうに日は没してしまった。
裏路地にある手頃な台湾料理店に入り、へたり込むように席についたら、それきりもう立ち上がれない。まずは互いの労をねぎらって壜ビールで乾杯。う〜ん美味いなあ! 乾ききった喉を潤し、五臓六腑に沁みわたる。途中からは老酒のぬる燗に切り替え、ピータン豆腐やら牛筋煮込やら排骨やら水餃子やらをつぎつぎに頼んでは平らげた。どれもこれも旨い。なにしろ腹ぺこなのだ。
始まりがいつもより早かったので、八時にはお開き。帰り道に月餅を買い(ただし小生のみ)、酔い覚ましにとぼとぼ関内駅まで歩いて、今日の「歩く会」はつつがなく終了。へとへとに草臥れたけれど、仕事疲れとは違い、ストレスは一切ない。心地よい疲労に浸された幸福感といえようか。心配だった雨にも祟られず、気心の知れた旧友たちと終始わいわいがやがや過ごせて幸せだった。次回はまた別ルートでヨコハマ探訪に集まることを約して散会。帰宅は九時半過ぎ。