読みたい本に読み耽るのは至福のひとときであり、時間の経つのを忘れてしまう。昨日たまたま手にした新刊書の一冊を東京への往還で読了してしまう。優に三百頁を超す大著なのだが、夢中になって没頭した。
加藤哲郎
ワイマール期ベルリンの日本人
洋行知識人の反帝ネットワーク
岩波書店
2008
加藤哲郎さんの著作を読むと、調査の綿密もさることながら、忘れられた過去の解明に賭ける執念の凄まじさに、圧倒される思いだ。前著『モスクワで粛清された日本人 30年代共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇』(青木書店、1994)ですでにそのことを痛感していたが、今度の本は永年のライフワークの集大成の趣があって、いっそうその感を深くした。
ドイツで学んでいた免疫学の学徒、国崎定洞はベルリンの留学仲間との読書会を通じ、共産主義に深くコミットした。ナチス政権成立後モスクワに逃れた国崎は、無残にも同じ日本人活動家の山本懸蔵の密告により、スパイ容疑で捕らえられ処刑されてしまう。その山本もまた、野坂参三の密告で同じ運命を辿る…。
歴史の闇に埋もれていた国崎定洞の生涯をあとづけ、異郷での非業の死に終わるその軌跡を明らかにすることで、スターリンに粛清された日本人の無念を少しでも晴らそう──四十年にも及ぶという加藤さんの探索は、実にこの一事に発し、見事なまでに一貫した志に貫かれている。「執念の凄まじさ」と言ったのはそのことである。
今回の新著では国崎が学んだワイマール政権末期(ナチス前夜というべきか)のベルリンにおける留学生たちの青春群像(そのかなめに千田是也がいた)をいきいきと描きだし、彼らが何を求めて、いかに行動したかがつぶさに明かされる。
事実の重みに圧倒されそうになりつつ一気に読了できたのは、ひとえに「どうしてこうなるのか」と問い続ける著者の問いかけの真摯さゆえだろう。埋もれた歴史の発掘にほんの少しばかり手を染めている小生にとって、研究とは研究者とはどうあるべきかを指し示す鑑ともいうべき一冊。
夕方、ふと思い立って渋谷の文化村のザ・ミュージアムの夜間開館に足を運び、「ジョン・エヴァレット・ミレイ」展を鑑賞。夜七時というのに大変な人出。『オフィーリア』の前には十重二十重に人垣ができていて、とても近寄れない。遠目にささっと観て終わりにした。混雑した展覧会ほど辛いものはない。
途中の煙草屋でゴールデンバットのカートンを購入。長く切らしていたのでありがたい。両切りのバットほど旨いものはない。