(承前)
そんなわけで、ナベさんに誘われて岩波ホールに出掛けた。
カール・テホ・ドライヤー(ドレイエル)については辛うじて名前だけは知っていた。『裁かるゝジャンヌ』と『吸血鬼』で名高い無声映画時代のデンマークの巨匠ながら、戦後はまるきり映画が撮れない不遇な時代が長く続いた。『奇跡』(1954年)はそのドライヤーが十年ぶりに手がけた畢生の長篇。原題を "Ordet 言葉" という。このとき(1979年)の上映が日本初公開だった。
大先達のナベさんも、新参者の小生も、この映画にはひとしなみに圧倒され、震撼させられた。誰だってそうだろう。端正な佇まいの下に強靭な意志と確信を漲らせたこの恐るべきフィルムを目の当たりにして、平静を保てる者などいようはずもない。
したたかに打ちのめされ、灯りのともった客席でふたりして顔を見合わせた。言葉にならぬ感動にうち震え、椅子から立ち上がることすらできなかったはずだ。
不確かな記憶で恐縮なのだが、この日の岩波ホールではどういうわけか、最終回終映後にもう一本、四十分ほどの中篇が引き続き上映されたように憶えている。手元のメモを見ると、確かにそう記してある。しかもそれはドライヤーとはおよそ似ても似つかない作品だった。
ドライヤーの『奇跡』を目の当たりにしたら、しばらく他の映画など観たくない。少なくとも、その日はそれでおとなしく家路に就くべきだろう。岩波ホールは一体どういうつもりだったのだろう。でも、ナベさんも小生も、立ち上がれないのをいいことに、結局そのまま席に居続けて、その「添えもの」上映に付き合ってしまった。ふたりとも未見のルノワール作品だったからだ。
(まだ書きかけ)