前にもちょっと書いたが、1978年秋から二年間、駒場の東京大学の生活協同組合でアルバイトをした。二十六歳から二十八歳までの一時期だ。
ここはかつて小生が在学し、しかも中退してしまった母校(卒業しないと「母校」とは呼ばないか)なものだから、そこで働くにあたっては複雑な思いが去来したのだが、ほとんど一文無しの状況だったので、選り好みしている余裕などなかった。
それまで二年半ほど神保町で編集見習をしていたのだが、仕事先で辛い出来事があり(つまり無様な失恋だ)、いたたまれなくてそこを辞してから数か月も無収入が続いたので、四の五の言ってはいられない。たまたま「アルバイトニュース」で募集広告を目にして応募したら、即日採用となり、夏休み明けからここで働き始めた。
配属された売店プレイガイドは、映画・演劇・音楽のチケットを販売するだけでなく、引越運送や自動車教習所やスキー合宿の斡旋、写真DPEの受付、切手・葉書の販売、名刺や年賀状の印刷、複写コピーの受付など、ありとあらゆるサーヴィス業務を請け負っており、終日カウンターで立ち通し、目の回るような忙しさだった。ここで生まれて初めて接客業を体験し、レジを打つようになった。恐る恐るやってみたら、結構これが面白い仕事で、ちょっと病みつきになりそうだった。小生が在籍した二年間、プレイガイドの売上が飛躍的に向上したというのが今でも自慢なのだ。
プレイガイドで働く役得に、新着映画の試写会への招待があった。エージェンシーから前売券を預かる代わりに招待状が貰えるのだ。ウディ・アレンの『マンハッタン』、ルキノ・ヴィスコンティの『イノセント』、ベルナルド・ベルトルッチの『暗殺のオペラ』、ジュールズ・ダッシンの『女の叫び』、ライナー・マリア・ファスビンダーの『マリア・ブラウンの結婚』など、話題の作品をいち早く観ることができて嬉しかった。
同じ生協売店の文具売場担当に「ナベさん」こと渡辺博という人がいた。彼は無類の映画好きをもって任じており、観るだけでは飽き足らず、自らコツコツ脚本を書き溜めていた。職場仲間の気安さも手伝ってすぐに親しくなり、その強い感化のもと、映画館や上映会に足繁く通うようになった。新作だけが映画ぢゃないよ、とばかりに、ナベさんからは山中貞雄や加藤泰、カール・ドライヤーやジャン・ルノワールの魅力をたっぷり教えられた。つまりはわが生涯の恩人のひとりである。
当時の記録がいい加減なので、1979年の2月か3月のある日、としか書けないのが残念なのだが、そのナベさんに連れられて、彼が口を極めて推奨するカール・テホ(テオドア)・ドライヤー監督の封切上映を観に神保町の岩波ホールまで赴いた。
とここまで書いて、あとは次回。