先週中に仕上げねばならぬ連載原稿があり、木曜の朝に半分まで書いて、ちょっと油断して午後からパラジャーノフの映画を観に出掛けてしまったのが運の尽き。それからあとが続かない。
後半を書き足そうとするのだが、木に竹を接ぐ塩梅で、どうも上手くいかない。ピカソについての小文なのに、肝腎の主役が登場せぬまま前半を費やしてしまい、あとがどうしても急ぎ足になってしまう。結局、日曜日までずれ込んで、夜遅くにようやく脱稿。四苦八苦して書いたものだから、文章に苦労の跡が滲み出てはいないか、それが気懸りである。
週末の締切を守れなかったことをお詫びしつつ、出来上がった小論を急いで編集部宛てにメール。
ホッと一息ついたのも束の間、今度はそれと入れ替わるように、先日『日本とユーラシア』紙のために書いた小文「90年後によみがえるプロコフィエフの日本滞在」のゲラが送付されてきた。
初めて寄稿する新聞とあって、どうにも勝手がわからず、おまけに自己宣伝と取られかねない内容なので、読み返すとあちこち直したくなる。今晩中に手を入れて、送り返さなければならない。
もうひとつ、ロシア絵本の日本への伝播について、少し長めの論考を書かねばならない。こちらは九月初めが締切だ。ふう。
いやはや、浅学非才の身にはいささか荷が重い。まあ、これも試練と受け止めて、せいぜい無い知恵を絞って頑張るほかあるまい。