藤田嗣治の展覧会「レオナール・フジタ展」が札幌で始まっていたようだ(北海道立近代美術館/7月12日~)。
ありがたいことに同美術館の佐藤幸宏さんから、出来たてのカタログをご恵贈いただいた。一読してその充実ぶりに驚かされ、飽かず眺む。
今回の展覧会では、1928年の「幻の群像大作」が展示の目玉になるらしい。縦横三メートルのカンヴァスが四枚、1992年フランスで発見され、このほどようやく修復が完了し、日本初公開に漕ぎ着けたものという。パリ・日本館壁画と同時期の、おそらくそれらと深い関わりをもつと察しられる大作である。
画面には夥しい裸体男女やら犬猫やらがところ狭しと犇めきあい、乳白色の絵肌と相俟って、さながら「フジタ大全」の趣を呈している。ミケランジェロやドラクロワが強く意識される一方、「北斎漫画」の世界をも彷彿とさせる、奇妙にしてアクロバティックな力技と思われる。これは間違いなく一見に値しよう。
同展覧会では、滞仏最初期の珍しいプリミティヴな作品や、1920年代後半から30年代初頭にかけての魅惑的な裸婦群、さらには晩年のマニエリスティックな宗教画までが陳列される由。
今すぐにでも札幌まで飛んで行きたい心持ちだが、まずはカタログを熟読して、じっと我慢。11月には東京へ巡回してくるので、せいぜい今から予習しておこう。
幸宏さんの巻末論考「藤田嗣治と群像大作──1929年の帰国をめぐって」は、綿密な調査に裏打ちされた、示唆に富む力作である。ようやく藤田の画業が正しい歴史的コンテクストに位置づけられ始めた。そんな実感がひしひし。
棺を覆うてのち評価定まるというが、藤田の場合その画業の正当な位置づけはまだまだこれから。
「手先の修練こそが絵画のすべて」という心意気で、20世紀的ヴィジョンに背を向け「腕一本」で世界に立ち向かった姿はさながらドン・キホーテ、時代錯誤そのものだが、デューラーやファン・エイクにまで遡行した岸田劉生とともに、そこには「日本人の絵には根本的に欠落がある」と悟った少数者のみが辿る不可避の道程を見てとることができよう。誰がフジタを嗤えようか。