オリンピックといえば、こんな真夏ではなしに、涼しい秋に開催、とつい考えてしまうのは、四十四年前の東京オリンピックの記憶が幼心にすっかり刷り込まれてしまったためだろう。
1964年10月10日。
ひねくれた小学六年だった小生は、日本国中がオリンピックの開会式に沸き立つのを冷ややかに横目で見ていた。テレビなんか観るものか!
なんという可愛げのない子供であろうか。
その日は土曜日だったのだろうか、学校が半ドンになったので、ふと思い立ってバス通りを西の方角めざしてどんどん歩いてみた。
当時わが家があったのは鳩ヶ谷(はとがや)というなんの変哲もない埼玉の田舎町。鉄道線路が通っておらず、最寄りの駅まで路線バスで三十分はかかる。その日、なぜそんなことをしたのか、理解に苦しむのであるが、その道のりを踏破してみようと考えた。
さすがに遠かった。殺風景な田舎を行けども行けども一本道が続き、いつまで経っても国鉄の線路まで辿り着かない。オート三輪やダットサンがもうもうと土埃をあげてすぐ傍らを追い越していく。
かれこれ三時間は歩き続けたろうか。道沿いに人家が次第に数を増していき、商店街が姿を現し、ようやく蕨(わらび)駅に到達した。水筒もなにも持たずに出掛けたので、喉はカラカラ、両足は棒切れのようになって、立っているのがやっとの有様だ。
駅の傍らの跨線橋の階段をとぼとぼ昇って、京浜東北線の線路の真上に佇んでしばし周囲を眺めわたす。どこといって特色のない、鳩ヶ谷と殆ど違わない、くすんだ街並が眼下に広がるばかり。
朝方までの雨はすっかり上がり、すがすがしい好天になった。徒労感と達成感の入り混じったやけっぱちの気分で、ふと上空を仰ぎ見た。そのときだ。
五色の雲がいびつな五つの輪をかたどったまま、真上の空にたなびいていた。
見慣れない光景によほど驚愕したのだろう、そのときの情景が今もスナップショットのようにくっきり脳裏に浮かぶ。もちろん色付きでだ。
オリンピックと聞くと、さながら条件反射のように、このとき見上げた五色雲の残像が真っ先に思い出される。夢の一齣のような名状しがたい美しさを伴って…。