朝から原稿執筆の準備。『日本とユーラシア』という月刊紙に、「プロコフィエフと日本」の論文執筆に到るあらましを書かねばならぬ。
準備といっても所詮は心の準備であり、つまりは冒頭の書き出しをあれこれ試行錯誤する。これさえ思いつければ、あとはたいがい難なく書き進めることができるのだが。どうなることやら。
あまりの暑苦しさ、鬱陶しさにサッパリ頭が働かず、家人の許しを得て冷房のスウィッチを入れる。昨日ちょっと立ち寄った新宿で見繕ったCDを順番にかけながら、頭のなかは文章の書き出しを暗中模索。未だ手探り状態だ。
シベリウス: ヴァイオリン協奏曲
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第二番
ヴァイオリン/フランク・ペーター・ツィンマーマン
マリス・ヤンソンス指揮 フィルハーモニア
1991年8月、ロンドン、アビー・ロード・スタジオNo.1
EMI CDC 7 54454 2 (1992)
錚々たる演奏陣に期待してプロコフィエフを聴き始めたのだが、なんだこれは。ほうぼうで神経を逆撫でされるような不愉快な仕上がり。ただただ気忙しいばかりで、匂いたつ秘めやかなリリシズムなど欠片もない。シベリウスを聴くまでもなく放擲。
シューベルト: 交響曲 第八番+第九番
シャーンドル・ヴェーグ指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ
1994年2月25, 27日/1993年3月26, 28日、ザルツブルク、モーツァルテウム (実況)
Capriccio 10 503 (1994)
うって変わってこちらは震撼すべき演奏。がしっと心を鷲掴みにされる。真摯に率直に謳いあげられた「未完成」。有無を言わさぬ推進力で拉し去る「大交響曲」。もしも生でこれらを聴いたなら…打ちのめされたろうな、きっと。
モーツァルト: 交響曲 第四十一番
ブラームス: 交響曲 第二番
エルネスト・ブール指揮
バーデン=バーデン&フライブルク南西ドイツ放送交響楽団
1970年代
Sound Supreme 2S-013 (2001)
氏素性の疑わしい海賊盤ながら、惚れ惚れするような演奏に感嘆。エルネスト・ブールには正規盤のモーツァルトがいくつかあり、どれも折り目正しい秀演なので、ひょっとして…と期待したら、それを上回る正攻法の名演。ブラームスも滋味掬すべき演奏で、モントゥーの晩年の録音をふと思い出した。
ドビュッシー:「遊戯」
バルトーク: ピアノ協奏曲 第二番*
ラヴェル:「クープランのトンボー」
ピエール・ブーレーズ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ピアノ/レイフ・オヴェ・アンスネス*
2003年1月31日、ベルリン (実況)
En Larmes ELS 03-366 (2003)
これも海賊盤。いかにもブーレーズ好みの選曲、しかも「これが生演奏なのか」と耳を疑うほど細部まで彫琢され、ただただ唖然。全くもう人間業ぢゃない。こうなるとベルリン・フィルの音色がフランス風か否かなどどうでもよく、そもそもドビュッシーもラヴェルも「仏蘭西音楽」の範疇を疾うに超えてしまっている。
駄目だ駄目だ、真剣に耳を傾けてしまうと、原稿執筆にまるで身が入らなくなる。ほどほどにしよう。