(承前)
えらく間があいてしまったが、6月29日のエントリーの続きである。
マレーヴィチ作品の評価額が高騰し、日本での展覧会の実現が暗礁に乗り上げるいう話の続き。気が重いが、締め括らねばなるまい。
まずは前回の末尾の再録から。
もしもマレーヴィチ作品に軒並み十億、二十億という評価額が付いてしまったら…。
「マレーヴィチ展」には「モネ展」「ルノワール展」「セザンヌ展」に優るとも劣らぬ莫大な保険料が発生することは、火を見るより明らかなのである。
展覧会歳入の大部分は入場料収入によって賄われる。だから主催者はやっきになって広報宣伝にこれ努めるのだが、マレーヴィチともなれば集客にも自ずと限界があろう。どう考えても入場者数は印象派の画家たちの回顧展に遠く及ばまい。二割か三割か、下手をすると一割にも満たないかもしれない。
それでも展覧会をやるのか。やれるのか。
そしてほどなく、運命の2001年9月11日がやってきた。
思わせぶりな書きっぷりで恐縮だが、あの同時多発テロはあらゆる意味で世界のありようを一変させた。
その夜、小生はたまたま金沢の美術工芸大にいて、英国在住の彫刻家アニッシュ・カプーアの新作のお披露目に居合わせていた。思慮深い哲人然としたカプーアの謦咳に接したあと、外へ出たらひどい雨降りに遭遇した。宿舎に戻ろうとタクシーに乗り込んだそのとき、車内の小型TVにモウモウと火炎を上げるビルディングの映像がチラと目に入った。
運転手さん、これなんの映画? 『ダイハード』か何か?
違うよ、お客さん! 「ニュースステーション」だよ。 ニューヨークは今、大変なことになってるらしい。
この忘れがたい夜のことは、一度ここでも書いた覚えがあるぞと思ったら、やはりそうであった(別ヴァージョンは
→ここ)。
あのときは誰しもそうだったと思うが、身の毛もよだつ出来事にただもう驚愕し、TVの前に釘付けになって「恐ろしい時代になったものだ」と嘆声を漏らすのが精一杯だった。この事件が自分の領分である美術館の仕事にどのような影響を及ぼすか、などと思いを巡らす心のゆとりはなかった。
同時多発テロの影響はほどなく、じわじわとボディ・ブロウのように美術業界にも及んできた。
海外と美術品を貸し借りする場合、その輸送手段は空輸が原則であることはすでに述べたとおり。その航空機がテロの標的(というか、実行手段)になったのだからたまらない。美術品を載せた飛行機が狙われることも大いにあり得るし、空港だって危険がいっぱいだ。そもそも貸し出した先の美術館や展示会場が爆破される悪夢のような事態だって想定しうる。恐ろしい時代に突入してしまったのだ。
そもそも作品の貸し借りには危険はつきものだが、その度合が「9・11」の以前と以後とでは桁違いに違ってしまった。誰もがそう直覚せざるを得なかった。
先に美術品にかける損害保険の料率は通例0.15%前後であると述べた。ただし、これはあの大惨劇が起こる以前の数字なのであり、保険各社はいち早く料率の引き上げを決断した。危険の増大に伴う当然の処置だとはいえ、みるみるうちに0.2%台の後半に固定されてしまったのだから、展覧会を準備中の者にとって大いなる痛手だった。
小生がマレーヴィチ展の実現を夢見て、あれこれ構想を練っていたのは、まさにこうした時期だったのである。
(まだ書きかけ)