物音に気づいて七時に目覚めると、家人はいそいそ身支度をしている。
なんでも今日はこれから昔の仕事仲間と山梨の塩山まで出掛けるのだという。今は甲州市というのだそうで、新宿からJRで一時間半。今の季節はサクランボ狩りが楽しめるのだそうな。
珈琲を飲み干すと、そそくさと出発。取り残された形になった小生は、このまま留守番を務めるのも癪なので、いくつか用事を拵えて東京まで出向くことにした。梅雨の中休みとかで、なんとか夕方まで天気はこのままもちそうだ。
目指すは渋谷区松涛なのだが、その前に新宿でちょっと中古CD屋をチェック。思いがけなく収穫があり、そのあと荷物を抱えての移動に難渋する。やはり寄るのは帰りにすべきだった。
山手線で渋谷まで出て、あとは徒歩で東急本店通りをひたすら歩く。だんだん荷が重たく思えてくる。そりゃそうだ、CD十四枚は馬鹿にならない嵩と重量だ。
本来の目的地とは違うが、通りすがりに渋谷区立松涛美術館にも寄ってみる。
「大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に」という大掛かりな展覧会。それなのに入館料三百円という安さだ。
河野通勢(こうの・みちせい 1895~1950)については小生も知るところが少ない。草土社で岸田劉生と行動を共にし、デューラー風の徹底写実、そして唐突な日本回帰と卑近美の追求へ、と相似通った軌跡を辿った画家、一言でいうなら劉生のエピゴーネン…といった程度の認識しかなかった。
ところがどうだろう。独学ながら若くして独自のアニミスティックな風景画に到達、敬虔なロシア正教徒としての内面を投影したとおぼしき宗教画や神話画の数々を手がけ、昭和期には売れっ子の挿絵画家・装丁家として一世を風靡した。
とりわけ、まだ劉生と出会う以前、十代末に長野の郷里で森や田園を描いた風景画がなんとも凄まじい。眺められた静的な風景ではなく、風を孕み、命を宿してうごめき、ざわめく「生き物」めいた風景。この時代、他の誰がこのような絵を描けたろうか。西洋でもセーヘルス、ブレイク、サミュエル・パーマーなど僅かな画家だけが参入できた、いわば禁断の領域に、通勢少年は易々と足を踏み入れたのだ。
聖書の物語に取材した一連の緻密な挿絵も、本格的な(と少なくとも本人は考えた)油彩宗教画も、大正時代の日本では他にちょっと例をみない構想力と、異様なまでのテンションの高さを示す。
1920年代から30年代にかけて、通勢の名は数多く手がけた単行本挿絵や新聞連載小説挿絵とともに人口に膾炙した。それらもいかにも彼ならではの巧緻で丹念な仕事ではあるが、彼の無尽蔵の才能とパッショネイトな情念の受け皿としては、いかにも小さすぎる。ほんとうは大画面に炸裂すべき表現意欲がいつしか行き場を失い、虚しく浪費されたとの感が深い。
通勢の多彩な画業を通覧したとき、結局のところ彼は本当に20世紀を生きたのだろうか、という疑問がふと脳裏をよぎった。彼のイマジネールな描写力を存分に生かす場は、寸法を指定された小さな紙の上にしか残されていなかったのではないか。
二時間近くかけてじっくり鑑賞、館内のカフェ(展示室を兼ねる)で珈琲とケーキをいただいた。帰りにカタログを購入。ここの学芸員・瀬尾典昭さんが力の篭ったエッセイを寄せている。思いがけない発見と重たい問いかけへと人を誘う、松涛美術館ならではの秀逸な展覧会だった。