なんだか今日はくたくたに疲れた。
夕方、野暮用が終わると、もう余力は尽きかけている。だが待てよ、と思い直す。こういう日に限って、きっと収穫があるのだ。そう考えると、居ても立ってもいられない。地下鉄を逆向きに乗って新宿へ出た。
閉店時刻まで四十分しかない。新入荷の棚、現代音楽の棚、声楽の棚に大急ぎで視線を走らせる。あった、あった、永年探していた稀少盤を含め、あれやこれやをゲットした。やはりジンクスは間違いなく存在するのだ。
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Sviatoslav Richter Edition XI"
ベートーヴェン: 「プロメテウスの創造物」序曲
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第一番
ブラームス: ピアノ協奏曲 第二番
ピアノ/スヴャトスラフ・リヒテル
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団
1960年11月1日、ボストン (実況)
AS disc 335/6 (1990)
史上名高いリヒテルの初の(そして最後の)渡米公演のライヴ、それもミュンシュとの共演だ。聴きたいと思わぬ者はおるまい。同じ日に協奏曲を二曲たて続けに弾いている。しかも(月並な表現で申し訳ないが)火花の散るような演奏なのだ。録音の不備など物の数に入らない。
エドゥアルド・トゥビン:
斃れし兵士たちのためのレクイエム
交響曲 第十番
ネーメ・ヤルヴィ指揮
ルンド学生合唱協会
イェーテボリ交響楽団
1985年5月11日、アルヘルゴナ教会(スウェーデン)
1986年10月31日、イェーテボリ音楽堂
BIS CD 297 (1987)
トゥビンの生涯の総決算ともいうべき二大傑作。完成まで二十九年を要したレクイエム(1950~79)は大戦犠牲者を悼むという意図を超え、普遍的な問いかけを含む痛切な音楽として響く。完成した最後の交響曲となった第十番(1973)は単一楽章、壮大な感情の起伏と、無辺の広がりと包容力をもつ。シベリウスの第七に人間的な情感を吹き込んだような音楽といおうか。
シューマン:
「マンフレッド」序曲
交響曲 第三番
「ゲノフェーファ」序曲
ヴァルター・ヴェラー指揮 BBCウェールズ国立管弦楽団
2001年4月7~8日、カーディフ、放送局スタジオ1
BBC music BBC MM 216 (2002)
一聴すると特段の特色に乏しくみえて、その実じわじわと良さが滲み出る演奏。シューマンのオーケストレーションを徒らに磨き上げず、渋さを渋さとして丁寧に音にする行き方。交響曲の終楽章と「ゲノフェーファ」に、そうしたヴェラーの誠実な姿勢が最もよく出ている。
このほか、ヒリアード・アンサンブルによるオケヘム(レクイエムほか)、フョードル・グルシチェンコという未知の指揮者によるカンチェリ(交響曲第一、第七、「風に悼む」)なども手にしたが、これらは未聴なので、感想はいずれまた。