六時にハッと目が覚める。何やら意味ありげな夢を見ていたようなのだが、起きた途端に忘れてしまう。窓の外は今日も気持ちよく晴れている。
昨日をもって、今回の旅の所期の目的を一応達成したことになる。
残すところあと一週間となった倫敦滞在を、もう少し意義深いものにしたい。残りのスケジュールを慎重に検討し、観るべきものを精選し、悔いの残らぬようにせねばならぬ。ベッドのなかで『タイム・アウト』誌や各種パンフ類をつき合わせて、たった独りの作戦会議。
今日は珍しいことに昼間のコンサートが何もない。そんな日もあろうかと、前々から考えていたグリニッジ天文台の訪問をいよいよ敢行することにした。なんのことはない、公園の散歩道を四、五分ほど歩けばいいだけだ。
朝食を済ませ、グリニッジ公園の緩やかな上り坂をずんずん進んで天文台へ。十時開館と同時に入場。表から眺めていた古風なドーム型の建物が昔の天文台かと思いきや、それはただの展示施設。もうひとつ、丸天井を頂いたパッとしない建物が十七世紀創建の王立天文台の遺稿なのであった。建物脇に、大砲の太い筒のような物体が鎮座しているので、説明文を読むと、なんとこれは大天文学者ハーシェル(天王星の発見者)が夜な夜な観測に勤しんだ大望遠鏡の、今に残る唯一の断片なのだという。こんな雨ざらしの所に放置しておいていいのかなあ。
館内には往古の天文観測器具がいろいろと展示されており、時代とともに大掛かりになっていくのがわかる。天文学は暦の作成、更には外洋航海術と密接に結びついており、大英帝国の発展の一翼を担った「国家的学問」であることがひしひしと感じられる。この天文台が先日訪れた国立海事博物館の分館になっている理由も、まさにそこにある。
別棟の古い煉瓦造りの建物は、ここに長く住んだ天文観測家フラムスティードの住まいだった由。生涯を天体観測に捧げ、データの集積と星図の完成に没頭した。美麗な図版入りの『フラムスティード全天星図』は少年時代の小生が憧れた書物である。彼が集めた未整理のデータをニュートンが借り出し、無断で自著のなかで公表したことに激怒したフラムスティードは、ニュートンの書物を悉く買い取り、すべて焼却したという。大昔に野尻抱影の本で読んだそのエピソードを、四十数年ぶりにフラムスティード旧宅の解説パネルに見出し、しばし感慨にふける。
たっぷり時間をかけ室内を経巡ったあと、表に出ると、そこは「グリニッジ標準時」の元となった「経度0度」ラインを地面に記したささやかな前庭がある。団体で見学に来ていた中学生(?)が次々にそのラインを跨いで歓声をあげる。すかさず小生もそれを真似て、基線の上に立って記念撮影。そのあと、天文台付属のカフェで、パン状の焼き菓子(名称失念)と珈琲で軽く昼食。
そのあと小生は独楽鼠のように忙しく動き回った。
DLRと地下鉄でピカデリー・サーカスへ出て、まず「ロンドン三越」(こんな貧相なところで誰が買物をするのだ?)の一階にある黒猫ヤマトの支店で「別送品」の申込書を貰う。何時の間にか、本やらCDやらパンフ・プログラム類が溜まってきたので、思い切って梱包のうえで別送してしまおうというのだ。ホテルまで集荷もできるというので、お願いすることにした。重たい段ボール箱をここまで運ぶのは難儀だからだ。集荷日は金曜となった。
そのあと近所のヘイマーケット・ストリートに赴き、ここの映画館「ヘイマーケット・シネマ」で続演中の芝居『逢いびき Brief Encounter』の23日(金)のチケットを購入。ノエル・カワード原作の高名な映画を脚色した芝居だという。面白そうだ。どういうわけか、ボックスオフィスは少し離れたヒズ・マジェスティ座の窓口が代行している。前方中央のとても良い席が手に入り、顔がほころぶ。
続いて劇場街シャフツベリー・アヴェニューへ向かい、アポロ・シャフツベリー座のボックスオフィスで『渦巻 The Vortex』のチケットも入手。明日(21日)のマチネにした。こちらもノエル・カワード、彼の出世作として名高い。日本に居るうちから、これを観るつもりで台本をトランクに忍ばせた。昨日ようやく読み終えたところだ。
さあ、これで今週の予定がだいぶ埋まってきたぞ。
ソーホーの裏通りを少し歩きかけて、まだ観ていない展覧会があることを思い出す。ロイヤル・アカデミーの「クラナッハ展」だ。全然好みじゃない(むしろ大嫌いな)画家ではあるが、大回顧展を見逃すとあとあと悔やむかもしれない。ここから遠くない距離なので、ピカデリー・サーカスの凄まじい雑踏をすり抜け更に五分ほど歩くと、アカデミーの広壮な建物が見えてきた。ちょうど二時に到着。
この美術館も久しぶり。たしかカンディンスキー展を観て以来ではないか。クラナッハ展はさすがに見応え充分。初期の瑞々しさとぎこちなさが混在する祭壇画、それなりの存在感を具えた男性肖像画群(素晴らしい素描があった)。エロスの化身めいて実体のないサロメやバテシバやロトの娘たち。同工異曲の女性ヌード。いくら観ても嫌いなものは嫌いだ。美術館のレストランで軽い昼食。
また元気が出てきたので徒歩でオックスフォード・サーカスを目指す。闇雲に歩いたら、それが最短コースだった。オックスフォード・ストリートに見慣れない新刊本屋があったので、少し時間を潰す。音楽雑誌 "BBC Music" 最新号を購入。附録CDはドビュッシー「遊戯」ほか。すぐ聴きたくともプレイヤーは千葉の自宅だ。
六時近くなったので、二本裏手のウィグモア・ストリートへ。
ウィグモア・ホール地階のレストランがもう開店していた。歩き疲れて俄かに空腹を覚える。ちょっと値段が張るが、たまにはよかろう、夕食はここに決めた。赤ワインとスープ、ローストビーフ、それから珈琲。
今夕はここで室内楽コンサート。先日の梅田君の忠告を聴き容れ、二階席正面に陣取る。プログラムを開くとまたしても出演者キャンセルの告知。後半に出るはずのチェリスト、トルルス・モルクが「予期せぬ事情」で出られないという。ああ左様か、と文句も出ない。
19:30- Wigmore Hall
アルテミス四重奏団
チェロ/ダーヴィド・ゲリンガス*(代役)
ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲 ハ短調 作品18-4
ストラヴィンスキー: 三つの小品、小協奏曲
シューベルト: 弦楽五重奏曲*
室内楽に疎い小生はアルテミス四重奏団 Artemis Quartet の名を知らなかったが、もう二十年近いキャリアを誇る団体で、CDも数多く、最新作は今日の演目のシューベルト、モルクの共演なのだという。ステージに椅子がひとつしかないので訝しく思ったら、チェリスト以外は立ったまま演奏する。前半すぐにわかったのだが、演奏スタイルはかなり奔放で、弾けるようなフォルテ、リズミカルな強調が目立つ。技巧的にも破綻なく、ストラヴィンスキーは十全の出来。さすがに二階席正面は響きが素晴らしく良い。ホールが美しい余韻を残す。
今日の聴きものは休憩後のシューベルト。苦手なこの作曲家で唯一、愛してやまない楽曲なのだ。でも、ひょっとして生演奏で耳にするのは初めてかもしれない。
トルルス・モルクに代えて第二チェロを務めるゲリンガスはリトアニアの人。かなり年輩の男性で、近年は指揮活動も始めたらしく、九州響や東京フィルにも客演している由。
シューベルトの五重奏は不思議な曲で、長大なわりに退屈しない。弛緩する瞬間が片時もないからだ。アルテミスの面々はこの曲をいささか過度にダイナミックに捉え、テンポも少々走り気味、逸る気持ちを抑えきれないといった按配だ。ゲリンガスのチェロはいわばそこに歯止めをかける役回りとみた。渋い音色で「お若いの、激するばかりがシューベルトではないのだよ」と諌めているよう。控え目なゲリンガスのパートはしばしば背後に隠れてしまいがちだが、第二楽章のピッツィカートに、彼の繊細な音楽性がはっきり聴きとれたと思う。
五十数分が瞬く間に過ぎた。なんと深い音楽なのだろう。ほとんど angelic な、いやむしろ seraphic な域に達している。
地下鉄二本とDLRを乗り継ぎ十時半にホテル帰着。
ヤマト運輸から発送する別送便の荷造りをしてみる。用意した段ボールがすぐ一杯になってしまう。この十日ほどで何時の間にかパンフやカタログや書籍が溜まってしまった。