昨晩は痛飲してしまい、不覚にも終電を乗り過ごし、東京で一夜を過ごした挙句、たった今しがた帰宅したところ。家人に呆れられる。まあ当然だろう。
昨日は「倫敦旅日記」を書きかけのまま残して、昼少し前に外出。渋谷のタワーレコードで一時間ほど過ごしたあと、徒歩で青山学院大へと赴き、三時からの「来日ロシア人研究会」に久しぶりに顔を出す。出席された豊田菜穂子さん、宮本立江さんにご挨拶し、それぞれに "Three Oranges" を進呈する。豊田さんはネット上に公開された「プロコフィエフの日本滞在日記」の邦訳者であり、宮本さんは拙論中で引用した日記部分の露語からの翻訳を手伝って下さった。差し上げた雑誌はもちろん訂正済のヴァージョンだ。
今回の研究発表は以下の三本。
ワシーリー・モロジャコフ 「日本と満州の亡命ロシア人作家の本とサイン」
安井亮平 「ブブノワの見たタウト~ブブノワとタウト その2」
K・O・サルキノフ 「ロジェストヴェンスキー提督の私信」
いずれも興趣をそそられる内容だが、個人的には安井氏の「ブブノワ=タウト」が圧倒的に面白かった。プライドの高さではいずれ劣らぬ芸術家ふたりが異郷の地で出逢い、軋轢を醸しながらも互いに触発しあうさまがスリリングでさながら映画のよう。
六時過ぎ散会、すぐさま渋谷に取って返し、山手線と中央線を乗り継いで荻窪へ。
七時を少し回って到着。ほぼ同刻に着いたらしい旧友・鯉登君と駅前で出くわし、連れ立って指呼の距離にあるライヴハウス、音楽食堂「Rooster」に向かう。
地下へと続く狭い階段を下り、扉を開けると、先着の Boe君の姿が目に入った。彼とはつい先日ロンドンでお目にかかって以来だ。TV番組の編集作業で帰国中という。その Boe君からのお誘いで、今日はこれから三人で日本のブルーズを聴く。
このライヴハウスは二度目。前回も Boe君らと一緒で、そのときは妹尾隆一郎のブルーズバンドを愉しんだ(そのときのレヴューは
→ここ)。
今日のライヴはまるきり予測がつかない。
伝説のブルースマンの夜!
布谷文夫(vo ex.ブルースクリエイション)
&ブルースブレイカーズ: 佐藤行衛(g) 山脇(g) 栃原優二(b) 野中たかし(ds)
「ナイアガラ音頭」で知られる伝説のブルースマンがまたやってくる。見逃すと次はいつだかわからないぞ。絶対目の前で体験すべし。ぜひご予約を。[同店HPより]
布谷文夫といえば、日本のロック黎明期から活動するヴォーカリストでありながら、大瀧詠一プロデュ―スで再デビューを図った「ナイアガラ音頭」(1976)の奇矯な「色もの歌手」としてのみ喧伝され、かつて「ブルース・クリエイション」のヴォーカルを務めた過去や、アルバム『悲しき夏バテ』(1973)をリリースした事実はすっかり覆い隠されてしまった。
小生も大昔、その「ナイアガラ音頭」を派手な浴衣をまとって唄い踊る布谷氏のステージに唖然とした印象をおぼろげに記憶するのみ。ブルーズマンとしての実績はまるで知らないのだ。そうした事情は同行した鯉登、Boe両君とて同じらしい。
朝から珈琲以外に何も食しておらず空腹を覚えたので、メニューから「茄子のピリ辛ご飯」「ニョッキのジェノヴェーゼ」を注文。前回キープしておいた「荻窪大学」名義のウィスキーのボトルを開けてまずはロックで乾杯。
さて八時になり、おもむろに登場した布谷氏は昔観たときの小太りの体形とは大違いで、長めの髪をオールバックに撫でつけ、頬のこけた渋い風貌の寡黙そうな初老男性。ステージでサングラスを着用し、バンドのタイトなサウンドに拮抗すべく、絞り出すようなシャウトを繰り出す。年齢の故だろうか、さほど声は出ていないが、何やらただならぬ気配を感じる。
休憩を挟んで約四十分ずつ二ステージで十数曲唄ったろうか。
冒頭「深南部牛追唄」に続き、いきなり「十二月の雨の日」(はっぴいえんど時代の大瀧詠一の曲)が出てきて吃驚。「トラディショナル・ナンバーを一曲」というから何かと思ったら、三橋美智也「達者でナ」(名曲だ!)だったりする。これも大瀧の曲で「台風十三号」。これは布谷の昔からの持ち歌だったはずだ。飛び入りのハーモニカ奏者も交えて「夏バテ」。アレンジが違うので咄嗟に気づかなかった。
後半は外国曲も加わって、フリーの "Fire and Water" "Be My Friend"、レッド・ゼッペリンの "Heartbreaker"、レイ・チャールズの "Unchain My Heart" など、氏の鍾愛の曲なのだろう、とことどころ日本語詞を交えながら熱唱した。自作からは懐かしい「冷たい女」も。
ふたつのステージを通して、いわゆるブルーズは一曲も歌われなかった。バックバンドもロック色が濃い。それなのに、「ああ、ブルーズを聴いた」という思いが痛切にしたのはどうしてだろう。おそらくそれは、とふと考えた。布谷文夫その人が周囲に及ぼす磁場、強烈な存在感がそう感じさせるのではないか。ブルーズを歌わないブルーズマン、というフレーズがふと浮かんだ。
終演後、図々しくも布谷さんと話し込んだ。彼はまさに日本のロック草創期の生き証人であり、四十年前のあれこれをまるで昨日のことのように物語る彼の昔語りに、時の経つのも忘れて聞き惚れた。
遠方へ帰らねばならぬ鯉登が途中で抜け、なおも話に聞き入るうち、気がつくともう十二時。とうに千葉へ戻れるような時間は過ぎている。もう、どうとでもなれという気分。
深夜一時少し前、上り方面の終電で荻窪から中野まで出て、そこからはBoe君の止宿する麻布十番の宿舎までタクシー。小生も彼の部屋に同宿させてもらい、早朝こっそりと抜け出した。