時計はすでに深夜の十二時を少し回っていた。
改めて "Three Oranges" を開いて巻頭論文を読み始めたとき、小生は重大な事実に気づかされた。記述に誤りがあるのだ。それもひとつやふたつではない。
冒頭すぐに出てくる大田黒元雄の本の題名が間違っているし、註の番号が脱落してしまった箇所もある。なかには完全な事実誤認を犯してしまったところまである。しかもそのほとんどは、原稿執筆の段階で小生が誤りに気づき、訂正するよう執筆者に要請したおいた箇所なのである。それらがどうしたはずみでか、未訂正のまま、印刷に附された最終稿にまで残ってしまったのだろう。よく読むと、註の文中にも不正確な記述が紛れ込んでいる。
結果的に「共同執筆者」として名を連ねることになったものの、執筆段階では小生は「助言者」として関わっていたから、最後の最後までは校正をチェックしていない。したがって、刊行されて初めてそれらの不手際に気づいたわけであるが、その結果に大いに落胆した。
もちろん、出版物には誤植や誤記はつきものであり、それをいちいち咎めだてできないことは承知している(小生は長く書籍編集者だったのである)。しかしながら、早い段階で誤りに気づき、それを指摘までしていたのに、それが訂正されず放置された事の成り行きには心安らかではいられない。
ひとつひとつの誤りは無論、論考全体の骨子を揺るがすような致命的なミスではない。いうなれば小さな誤記や事実誤認なのであるが、そもそもこうした歴史を掘り起こす作業においては、ジグソーパズルの断片のような個々の事実の積み重ねがすべてなのであり、「済んでしまったこと」として見過ごすことはできない。まして、小生は(最終的にだが)この論考の執筆者のひとりであり、誤りの当事者としての責任を免れ得ない。
外国人の読者にとって、日本語文献にアクセスするのは容易ではない。それも九十年も昔の稀少な資料とあっては、いちいち原典にあたって事の当否を判断するのは不可能に近い。そう考えたとき、われわれの論考の記述内容が能うる限り正確さを期さねばならぬ理由は明らかだろう。今後、プロコフィエフの日本滞在について言及する者は、この雑誌の特集を参照し、その記述を踏襲するところから論を起こすことになろう。いずれ出現するであろう、そうした将来の研究者のために、可能な限り信頼のおけるデータを提供するのは、われわれ日本人の果たすべき責務なのである。
そのように思いを巡らすと、悔しさと自責の念で眠れなくなった。
朝方、ようやくうとうとしかけた頃合に電話が鳴った。ウィーンに住む旧友 Boe 君から国際電話だ。
彼はTV番組の制作編集の仕事で近々ここ倫敦に来る用事があるのだという。なんとか逢う機会をつくろうという相談で電話してくれたのだ。近況報告がてら、今回の事態を手短に説明すると、「自分が番組を作っていく過程で、例えばテロップに小さな誤りが見つかったときは、なんとしてでも修正しようと努力するだろう。放映直前のギリギリまで、誤りのないよう八方手を尽くすと思う」と助言してくれた。