平林直哉氏から贈られたCDで古いSP録音の覆刻を久しぶりに聴いて、昔の人はこの乏しい音でなんとかオーケストラの豊穣な響きを想像しようとしていたのだなあ…としばし感慨に耽ってしまった。
1914年、バレエ・リュスの倫敦公演に連日のように足を運び、その直後に帰国した二十一歳の大田黒元雄青年は、世界大戦勃発という不測の事態に英国に戻れなくなり、やむなく東京で文筆家としてのキャリアを始めた。
体験は彼のなかで山のように蓄積されていた。「音楽の大マーケット」倫敦に一年余り滞在し、連日のように演奏会、オペラ、バレエに通いつめた大田黒には、日本の人々に西洋音楽の真髄を、とりわけその最新動向を伝えたい気持ちが溢れんがかりにあった。
だがそのための方法がみつからない。日本には軍楽隊以外に「洋楽」と呼べるものがまだ殆ど存在しない。ピアノやヴァイオリンですら満足に奏しうる者がおらず、オーケストラもオペラも、その萌芽は誕生しかけてはいたものの、大田黒の希う楽曲など到底演奏できっこない。
あの夏、英京ドルーリー・レイン劇場で鳴り響いたストラヴィンスキーの音楽を、一体どうすれば日本の友人たちに伝えることができようか。
そこで彼は考えた。レコードを通して、なんとかそれをやってみるのだ、と。画期的な啓蒙書『露西亜舞踊』の刊行から間もない1917年11月のことである。