(この日以降は当日に書き綴ったメモがあるので、それに沿って記すことにする。)
昨日の興奮とジェットラグの影響が入り混じり、どうも熟睡できなかった。
早朝に目覚めると今日も清々しく晴れた日。殆ど雲ひとつない快晴だ。最初のイヴェントが済んで、ようやく今日が本当の一人旅の始まりだという気がする。さあ、どこでどう過ごそうか。
あまりの天気の良さに、部屋で愚図愚図しているのが憚られる。六時半起床。散歩に出る。煙草も吸いたいのだ。
すぐ近くにあるグリニッジ公園へ。芝生が広がり、木立が点在する。そこに遊歩道がいろんな方向に延びているという、典型的な倫敦の公園だ。ただしここには少々起伏があり、ところどころ樹木が生い茂り、林のようになったところがある。街中の公園に較べ野趣が深い。
あてどなく歩き、緩い斜面を登っていくと、ドームを頂いた古風な建物群が見えてきた。ははあ、ここが名にし負う「グリニッジ天文台」なのだな、と気づく。世界標準時の起点、経度0度となった場所である。17世紀にフラムスティードがここを根城に観測にいそしみ、有名な星図を完成させた。天文少年だった小学生の頃、野尻抱影の入門書で読んで知った知識だ。半世紀近く経ってようやくその場所まで到達したのだなあという感慨に捉われる。早朝ゆえ開館しているはずもなく、周囲をぐるり眺めただけだが、それでも満足。そこいらじゅうの地面と木立を栗鼠が駆け回っている。なんとも忙しい連中だ。
天文台の建つ高台からテムズ河畔を見下ろす絶好の見晴台がある。眼下にはすぐ左右対称の宮殿風の高雅な建物(エリザベス一世の離宮だったという)があり、その向こうには「ドックランド」、すなわち倫敦の繁栄を支えた波止場、倉庫群、造船施設を擁した一帯が広がる。永らく寂れていたドックランドはこのところ急速な再開発が進められ、東京のお台場さながらモダン建築が林立しつつある。ここからの眺めは、言うならば倫敦の過去と現代を一望に収めたような趣。
一時間ほどしてホテルに戻ると空腹を覚えたので、レセプション脇のカフェで「イングリッシュ・ブレックファスト」を摂る。今朝はちゃんと "Fried eggs, sunny-side-up, please!" と言えた。部屋に戻ると腹がくちくなって少しうとうとしたあと、身支度を整えていざ出発。九時半。さあ、これからどこへ行こうか。
本数の限られたチャリングクロス行きの国鉄には乗りたくない。グリニッジからトンネルでテムズを潜ってドックランドを北上する「ドックランド・ライト・レイルウェイ=港湾軽便鉄道 Dockland Light Railways」略してDLRというのがあると聞いたので、近くのカティサーク駅から利用してみる。オイスターカードも使用できるのがありがたい。
三両連結の列車が初めは地下を走り、テムズ対岸へ出たところからは高架になる。駅名が「島庭園」「泥捨て」「横切港」「南波止場」「青鷺波止場」「カナリア埠頭」と、いかにも港風情たっぷりなのが可笑しい。ほどなく鄙びた眺めが一変し、超モダンな高層建築が林立するビジネスセンター風の眺めが現れる。その中心地である Canary Wharf 駅で地下鉄のジュビリー・ラインに乗り換え。ここから都心までは十五分ほどだ。
ジュビリーの四駅目、サウスウォークで下車。ここからテイト・モダンは遠くないと見当をつけた。案の定、十分ほどで元発電所だった褐色の巨大な建物が見えてきた。
テイト・モダンも八年ぶり。前回はここが開館した直後だった。三階と五階とが常設なので、まずこれらをざっと一巡してみる。
時系列ではなく、独自の対比・衝突で20世紀を照らし出そうという策略は開館の頃とおんなじだ。さすがに展示はそのときとはまるで違っていて、ちょっと混乱してしまう。いきなりバーネット・ニューマン vs アニッシュ・カプーアが対置される。う~ん、これはどうも不発ではないか。モネ vs ポロックは誰もが思いつきそうな組み合わせだが、肝腎の作品が良くないので、これもいただけない。こうしてみると、この美術館のコレクションは第一級とは言いがたい。
とはいえ、シュルレアリスムの小品絵画を壁のあちこちにランダムに配した部屋や、キュビスムの展示のすぐあとにジョナス・メカスの部屋があって、目まぐるしく映像が炸裂する「ウォールデン」を延々と壁に投影していたのには唸ってしまった。映像の分断・断片化はたしかにキュビスト的といえなくもないからだ。もっともメカスはそこから「時の欠片」=「人生のかけがえのなさ」という主題を導き出しているのだが。
グレーの壁に荘厳なタブローが九点配された「ロスコ・ルーム」を最後に、常設をひととおり観たら、ちょうど正午だ。ここで二階のカフェで昼食。バジルや松の実を絡めたパスタをいただく。
午後は四階の特別展「デュシャン、マン・レイ、ピカビア」をじっくり観る。たいそう充実した展示で、文句をつける筋合いではないものの、そもそもダダイスムの企てを残された作品だけで検証することの虚しさを痛感しもした。すべては卓越したアイディアの抜け殻なのだ、ここには何も無いのだ、という思いがどうしても頭を離れなかった。まあ、それが感じられただけでも一見の価値のある展示だったのだが。
昼下がり、テムズ南岸から北岸へとゆっくり時間をかけ散策。夕刻にブラックフライアーズ駅から地下鉄のサークル・ラインに乗り、バービカンへ。ここも八年ぶりだ。
しばらく訪れないうちにバービカン・センター界隈はちょっと建物が汚れ、なんとなく草臥れてきた感じだ。人影も昔に較べるとまばらだ。サウスバンク界隈の賑わいとは対照的かもしれない。
ともあれ、人工池に面した馴染のカフェで早めの夕食を摂ることにする。ここのメニューも以前に較べると随分と簡略化され、いろいろ野菜を組み合わせるセルフメイドのサラダなどは無くなってしまった。仕方ない、温スープ、サンドウィッチ、ワイン、ケーキ、珈琲というお手軽な夕食。少しばかり時間を持て余したので、一昨日購入した『ザ・イヤー・オヴ・マジカル・シンキング』の台本の続きを読み進む。とんでもなく辛く悲しい出来事の連続に、先へ進むのが怖くなってくる。近親者の死や病気治療を巡る物語なので、医学用語が頻出するのもしんどい。これを延々と聴かされるのかと思うと、いかにヴァネッサ姐御の独演会といえども、たじろがざるを得ない。
今夜のコンサートのチケットも日本で予約しておいた。ボックスオフィスで恙無く発券してもらう。E列のほぼ中央というので気をよくしていたのだが、実際に入場してみたら愕然とした。コーラスを配置する都合からか、舞台は前方に向け拡張され、A列からD列までは床板で覆われ使用不可。すなわち、わがE列は最前列と相成っていたのである!
19:30- Barbican Hall
ピエール・ブーレーズ指揮
ロンドン交響楽団、BBCシンガーズ
バス/ペーター・フリート、メゾソプラノ/ミシェル・デ・ヤング
シェーンベルク: 音楽劇「幸福な手」
マティアス・ピンチャー: 「オシリス」(英国初演)
バルトーク: 歌劇「青髭公の城」ブーレーズは今年八十三歳になるというが、とてもそんなふうには見えない。外見が変わらないだけでなく、創り出す音楽の厳密さ、精妙さも以前のままなので驚いてしまう。
最前列中央なので、一メートルちょっとのところから、相も変わらず冷静沈着な彼の指揮姿を観察できるのはまことに眼福だ。ただし音響バランスはすこぶる悪い。「幸福な手」も、「青髭公」も、バス歌手が真ん前に立ちはだかり、正面に投影される英語字幕がその陰に隠れて殆ど見えず、これには往生した。いずれの作品もどちらかといえば苦手な部類なのであるが、そういう曲に限って、ブーレーズは圧倒的な名演を聴かせる。なんという凄まじい音楽なのだろうと溜息をつかざるを得ない。2001年にパリで聴いたバルトーク「中国の不思議な役人」がそうだったのを思い出す。
ロンドン交響楽団のアンサンブルの優秀さにも惚れ惚れする。久しぶりに「意味深い」オーケストラの響きを耳にした気がする。
ピンチャーの初演曲は可もなく不可もなく、多彩な響きに感心しはするものの、いかにもブーレーズ好みの20世紀的なゲンダイオンガクの域を出ないと思う。
心からの感動に至らなかったのは曲目の故なのか。ともあれ、矍鑠たるブーレーズを「手の届く」距離で目撃できたのだから良しとしよう。
地下鉄とDLRとを乗り継いでグリニッジのホテルに帰着したら十一時近かった。
入浴後、昨日に引き続き、フィリップス氏英訳の『プロコフィエフ日記』の記述と、小生の論考で引用した日記の当該箇所との訳文同士の引き較べをした。
ロシア語をほとんど解さぬ小生は、日記の該当箇所の英訳に際して、ネット上で公開されている日本語訳「プロコフィエフの日本滞在日記」から、ロシア語原文の当該箇所を特定し、その部分をロシア語に堪能な宮本立江さんに逐語和訳していただき、それをさらに英訳するという手順を踏んだ。最終的にノエル先生がさらに校訂して下さったわけだが、「ロシア語→日本語→英語」を経ることで、思いもよらぬ間違いが生じているかもしれない。
一時間ほどかけてすべての照合を終える。細部の表現こそ異なるものの、両訳文には齟齬は殆どみられなかった。ホッとひと安心。これで今夜は安らかに眠れそうだ。