古本屋で店員から「何をお探しですか?」と尋ねられると、いつも不快な思いがする。もちろん探している本はあまたあるけれど、何が見つかるか予測がつかないから面白いので、そこに古本探しの妙味があるのがわからないのか。お願いだから、放っておいてほしい、勝手に探すから、と言いたくなる。
中古CD漁りも同じこと。どんなものと遭遇するかはまるで運任せ。水辺で釣糸を垂れるような、いやむしろ、浜辺で綺麗な貝殻を拾い集めるような、偶然の出会いに身を委ねる行為なのである。
今日は昨晩(というか今朝)の夜更しが祟って、東京での野暮用が済んだ夕方にはすでに疲労困憊。でも永年の経験から、「こういう日には却って何かが見つかる」という予感にかられて、重い足取りで這うように新宿のショップに辿りつく。
その予感は的中した。エイドリアン・ボールト指揮による1976年「プロムス」でのエルガーの第一交響曲ライヴ(BBC Music)やら、エマニュエル・クリヴィ―ヌ&リヨン管弦楽団のドビュッシー「小組曲」「神聖な舞曲と世俗の舞曲」ほか(DENON)やら、マックス・レーガーのヴァイオリン・ソナタ集=作品122&139(Hänssler)やらを立て続けに発掘した。
でも今日ご紹介したいのはそのいずれでもない。もっと驚くべき音楽との出会いが待ち構えていたのである。
ヴェリヨ・トルミス Veljo Tormis:
忘れられた人々 Unustratud Rahvad (バルト・フィン諸民族の古謡)
1. リヴォニアの遺産 (五曲)
2. ヴォティアの婚礼歌 (七曲)
3. イゾリアの叙事詩 (十曲)
4. イングリアの夕べ (九曲)
5. ヴェプシアの小径 (十五曲)
6. カレリアの運命 (五曲)
トニュ・カリュステ指揮 エストニア・フィルハーモニー室内合唱団
1990年2月録音
ECM 1459/60 (1992)
先日のトゥビンの交響曲にも心底惚れ込んでしまったが、このトルミスの民謡編曲にはそれ以上に震撼させられた。全く不意打ちの驚きである。
民謡編曲による合唱曲の白眉として昔から愛惜してきたバルトークの「二十七の無伴奏合唱曲」と同じような至純の魅惑を漂わせながら、さらにその先を目指す凄い音楽だと直覚された。
トルミスを聴くのは、実はこれが初めてではない。いくつかのエストニア音楽アンソロジーで接してはいたのだが、今日この大作(通して聴くと二時間を優に上回る)を耳にして、その傑出した個性にようやく触れた思いがする。だから「初めて」といっても過言でないのだ。
ヴェリヨ・トルミスは1930年生まれ。オルガンと合唱指揮を学んだのち、1950年から作曲に転じ、モスクワ音楽院でシェバリーンに師事したらしい。
本CDに作曲者自身が寄せたライナー・ノーツによれば、トルミスは1960年代以降、何度もバルト海沿岸の各地を旅し、もはや風前の灯となったフィン族の集落を訪ねては古い民謡の収集に努めたのだという。
この含蓄深い文章のなかで、彼は作家アイン・カーレップ Ain Kaalep の「エストニア人、フィン人、そしてマジャール人──われらはヨーロッパの『アメリカ・インディアン』なのだ」という言葉を引いている。彼らの歌からはヨーロッパがキリスト教化される以前の「古層」の音楽が聴こえてくるというのだ。だとするならば、小生がこの曲集「忘れられた人々」を耳にするなり、バルトークの民謡編曲を想起したのも、あながち的外れではなかったことになる。
トルミスの「忘れられた人々」を聴いていて、バルトークの「二十七の無伴奏合唱曲」を思い出さない者はいないだろう。実際、両者は姉と妹のように似通っている。ただし、その類似がふたりの作曲家の資質や手法の共通性に由来するのか、それともトルミスが依拠するバルト・フィン族の民謡と、バルトークが探索した原マジャール民謡とが深い類縁関係にあるためなのか。正直なところ、そのあたりの事情が小生にはまるで見当がつかない。
そもそも、この合唱曲集がトルミスの代表作と呼び得るのか否かすら小生は詳らかにしない。
確実にいえることはこうだ。トルミスは1930年代にバルトークが辿りついた未踏の曠野へと独自の道筋から到達し、そこから先へと大胆に歩を進めようとした。
最後に、もうひとつトルミスの言葉を引いておこう。「私が民謡を用いるのではない、民謡が私を用いるのだ。私にとって、民俗音楽は自己表現の手段ではない。むしろ私は民俗音楽のエッセンス、すなわち、その精神や意味、形式を露わに打ち出す必要を感じるのだ」。