つい先日、米amazonに注文していたCDが二か月かかってようやく到着した。
"Family Classics: French piano duets inspired by childhood"
フォーレ: 組曲「ドリー」
ビゼー: 組曲「子供の遊び」
ラヴェル: 組曲「マ・メール・ロワ」
フローラン・シュミット: 「小さな眠りの精の一週間」
ピアノ連弾/ティモシー&ナンシー・ルロワ・ニッケル 2000年12月17‐19日、ロズリンデイル、ソニック・テンプル
ARSIS CD 137 (2002)
いかにもありがちな「ご家庭向け」アンソロジーだが、お目当てはもちろん最後に収録されているフローラン・シュミットだ。滅多に耳にする機会のないこの佳曲には、小生の知る限り、CDはあと一種類、ドイツから出ていたきりだと思う。
"Marchenmusik: Fairy Tale Music Piano 4 Hands"
ジェルジ・ラーンキ: 「二頭の素晴らしい牡牛」
カール・ライネッケ: 「胡桃割人形と鼠の王様」作品46
フローラン・シュミット: 「小さな眠りの精の一週間」
ラヴェル: 組曲「マ・メール・ロワ」
ピアノ連弾/ハイデルベルク・ピアノドゥオ1993年11月、ヴィースロッホ
Ars Produktion FCD 368 333 (1994)
どちらも演奏はまあまあの域を出ない平凡な出来だが、実際に音で聴けるのだから文句は言えない。
小生がこの曲 "Une Semaine du petit Elfe Ferme-l'Œil" に興味を抱いたのは1980年代のこと。この連弾曲(作品58、1912)はやがてバレエ音楽に改変され(『小さな眠りの精 Le Petit Elfe Ferme-l'Œil』作品73、1923)、翌24年パリのオペラ=コミック座で初演された。このとき舞台装置と衣裳を手がけたのがフランスの絵本作家アンドレ・エレだったのである。
アンドレ・エレ André Hellé (1871-1945)の名は知らぬという人も多かろう。アール・デコ期に活躍したイラストレーターで、数多くの絵本を上梓している。亡くなった堀内誠一さんがその仕事をこよなく愛しておられ、晩年には自ら翻訳までして代表作『ノアのはこぶね』(福音館)を刊行した。愚かな版元はこれをずっとこれを品切のまま放置しているため、もう日本ではほとんど思い出す人もいない。
小生はドビュッシーが晩年にそのエレと親しく交友し、子供のためのバレエ『玩具箱 La Boîte à joujoux』を構想していたことを知り、俄然その画業に興味を抱いたのである。結局、このプロジェクトはドビュッシーの死によって、ピアノ譜が完成したにとどまり、その歿後アンドレ・カプレの管弦楽編曲によりバレエとして舞台にかかった。舞台美術は勿論エレが担当した。併せてデュラン社からエレの挿絵入りのこよなく美しい絵本仕立てのピアノ譜(詳しくは
→ここ)も刊行された(1913)。これは1980年代まではヤマハや山野楽器の楽譜売場で容易に手に入ったものだ(今は無味乾燥なただの譜面に取って替わられてしまったが)。
小生のアンドレ・エレへの執着はその後も続き、パリの古書店の手助けにより、あらかたの絵本を集め終わり、彼が表紙絵を描いたラヴェルのオペラ『子供と魔法』のピアノ譜(作曲家の署名入り)や、エレがアルテュール・オネゲル夫妻に贈呈した絵本(つまりオネゲルの旧蔵書)や、果てはエレ肉筆の「ダミー本」(内容検討用につくる下絵入りの試作)やら、オペラやバレエをスケッチした写生帖の現物まで手に入ってしまい、この辺りで自らの病膏肓ぶりに怖気づいて収集をやめた。
アンドレ・エレが舞台美術を手掛け、1924年2月9日オペラ=コミック座で初演された『小さな眠りの精』は、元の連弾曲に「ヤルマーの夢 Les Songes de Hialmar」の副題が付くように、ヤルマーという名の少年が一週間にわたってみた夢を連ねた内容である。少年にそれらの夢をみるよう仕向けるのが「小さな眠りの精」、平たくいえば「眠りの小人」である。
この物語の原作はアンデルセンの童話「眠りの精のオーレ」。小生は子供の頃からなぜかアンデルセンが大嫌いで、この話もまるで知らなかったのだが、それではならじと生まれて初めて読んでみた。これがなんというか、実に奇妙でヘンテコな物語なのに驚き呆れた。
眠りの精のオーレさんが毎夜、子供たちの傍にそっと忍び寄り、小さな魔法の注射器で温かいミルクを彼らの目めがけてシュッと吹きつける(なんだか生理的に不快感を伴う嫌な描写だ)。するともう、子供たちは目を開けていられなくなる。ヨーロッパで古くから言い伝えられている「眠りの精」は「砂男」といって、子供たちの目に魔法の砂を振りかけるのであるが、アンデルセンの「オーレ」はいわばその十九世紀デンマーク版なのであろう。
さあ、それでは、眠りの精のオーレさんが一週間のあいだ、まいばん、ヤルマーという名まえの小さなぼうやのところへきて、どんなお話をしてくれたか、それをきくことにしましょう。お話はみんなで七つあります。なぜって、一週間は七日ですから。──『アンデルセン童話選』 大畑末吉訳、岩波書店、1990
奇妙なことに、アンデルセンは聞き手のヤルマー少年がどんな家庭に育ったどんな境遇の子か、その外観や性格についても一切口を噤んだままである。
そしてそのあとに、オーレがヤルマーにもたらした七つの夢が次々に語られるのだが、いくら夢とはいえなんとも荒唐無稽な内容で、読むに堪えない代物なのである。
バレエは(というより、その元になったピアノ連弾曲は、というべきだろう)、この夢の内容をかなり改変している。しかも順番まで入れ替えている。
1. 二十日鼠の婚礼……原作では「木曜日」
2. 草臥れたコウノトリ…… 「水曜日」
3. 眠りの精の馬……「日曜日」
4. お人形ベルタの結婚……「金曜日」
5. 石板の文字のロンド……「月曜日」
6. 絵のなかへの散歩……「火曜日」
7. 中国の雨傘……「土曜日」
題名だけを見ていると面白そうなのだが、あまりにも馬鹿馬鹿しいので紹介はやめておく。どうか原作をお読みいただきたい。ただし最後の「中国の傘」だけは大幅にアンデルセンの筋書と異なるので、簡単に記しておこう。
中国の傘には刺繍で皇帝とその皇女、臣下が描かれていた。皇女はたいそう美しく、ヤルマーはうっとりして彼女に近づく。皇帝は彼を縛り、鎖で繋ぐよう命じるが、皇女の命乞いをしたばかりか、「この少年と結婚させて下さい」と皇帝に願い出る。ヤルマーは彼女の顔を覆うヴェールを上げてみると、なんとそれは「小さな眠りの精」の顔ではないか! 皇帝と臣下もふたりの小人の変装だった。眠りの精はヤルマーの目に砂を振りかけて眠らせると、そっとベッドへと運んだ。夜が明けて目覚めたヤルマーは目をこすりながら、思わずあたりを見回した。(幕)まあこんな調子の他愛のない物語なのだ。ところがこれに装を得たフローラン・シュミットの音楽がなんともいえずチャーミングなのである。
シュミットがこのピアノ連弾曲を発想したとき、彼の念頭には恩師フォーレが1896年に書いた、同じく連弾用の組曲「ドリー」の存在があったことは間違いなかろうが、ドビュッシー以後の世代に属する彼の書法は紛れもなく20世紀初頭の新しい感受性に基づいていた。ドビュッシーの前奏曲集のあれこれが先例として思い出されるが、より端的にはやはりフォーレ門下だったラヴェルがピアノ連弾用に書いた組曲「マ・メール・ロワ」(1910)からの感化が大きかったと推察される。
シュミットが組曲の最後を、(架空の)中国を舞台にしたきらびやかな音楽で締め括ったのも、ラヴェルが「マ・メール・ロワ」で巧妙に描き出した「お伽の国」としての東洋のイメージ(第三曲「パゴダの皇后レドロネット」)に触発されたものであることは、両者を聴き較べてみれば明らかだろう。シュミットの組曲が「ドリー」や「マ・メール・ロワ」ほど人口に膾炙しなかったのは残念というほかない。こんなに素敵な音楽なのに。
最後に、LP時代に出た同曲の演奏を紹介してエントリーを終えよう。
フローラン・シュミット:
「小さな眠りの精の一週間」 作品58
三つの狂詩曲 作品53
ピアノ/ロベール・カサドシュ、ガビー・カサドシュ1956年6月16日、パリ、サル・アポロ
Columbia ML 5259 (1958)
往年の名ピアニストとその妻がシュミットの連弾曲と二台ピアノ用の曲を演奏した素晴らしいアルバム。ともにこれが史上最初の録音だったとおぼしい。1958年に亡くなった作曲者はこの演奏を聴くことができたのだろうか。もう半世紀前のディスクで、探し出すことは困難だろう。いくらモノラル録音だからといって、こんな名演を一度も覆刻せずに眠らせておくSony Classical の怠慢は責められて然るべきである。
フォーレ: 「ドリー」
シュミット: 「小さな眠りの精の一週間」
ミヨー: 「スカラムッシュ」
ピアノ連弾/クロード・コンファローニ、オディール・ポワッソン1986年4月3~4日、マルセイユ、リュミニー美術建築学校
Lyrinx LYR 068 (1986?)
フランスの女性ドゥオのたいそう洒落た演奏。カサドシュ夫妻に次ぐ名演奏だし、「ドリー」も「スカラムッシュ」も良い。不幸にしてLP最末期に遭遇し、CD化されぬまま埋もれてしまった。Lyrinx は現役のレーベルなので、再発売されないかと期待しつつもう二十年待ち続けている。
もっとあるのかも知れないが、小生が架蔵するのはこの二種類の演奏だけだ。