歳を取ったせいなのか、未知の作曲家と出会うのが億劫になって久しい。聴く音楽がすべて新鮮に思えた十代の頃とはなんという違いだろう。それではならじと、いろいろツマミ食いしてみるのだが、これはという人物になかなか出会えない。
ところが一昨日のこと、たまたま安価で見かけたという、ただそれだけの理由で何気なく手にしたCDに心底驚愕した。凄い作曲家と遭遇したという思いに、心が震えるのを抑えきれない。
エドゥアルド・トゥビン:
交響曲 第一番、第八番
アルヴォ・ヴォルメル指揮 エストニア国立交響楽団
2000年1月28-29日、2001年5月26日、タリン、エストニア楽堂
ALBA ABCD 163 (2002)
エドゥアルド・トゥビン(トゥービン)Eduard Tubin(1905-1982)はエストニアの作曲家。ヘイノ・エッレル門下の逸材として世に出、生涯で十一曲(最後の一曲は未完)もの交響曲を遺したことは知っていた。指揮者ネーメ・ヤルヴィがその全交響曲録音にライフワークとして取り組んだことも、知識としては承知していた。だが、ロシアのミャスコフスキーの場合と同様、夥しい楽曲のどれから聴き始めてよいのか迷ったまま、なかなか出会う機会を見つけられないでいた。
それがどうだろう。このCDで第一交響曲(1931-34)を聴き始めた途端、これは只者ではないぞ、という予感が全身を走った。
若書きとはとても思えぬ円熟した書法、主題展開の妙、絶妙なバランス感覚、管弦楽法の習熟、どれを取っても第一級の音楽だ。しかも形式に走りすぎず、ちゃんと語るべき内容を豊かにもっているところが素晴らしい。シベリウスやニールセンを思わせるところが無いではないが、他の誰とも似ていないオリジナルな音楽が迸るという印象が強い。他の作曲家の名を挙げても詮方無いのを承知でいうなら、円熟期のヒンデミットに匹敵する達人とみた。しかもこれは二十代後半の青年の手になる音楽なのである。
エストニアでは管弦楽を作曲する者はまだ少なく、このトゥビンの作品は同国で書かれた史上四曲目の交響曲なのだという。わが日本と状況はほとんど変わっていなかったことがわかる。
このCDで聴けるもう一曲は第八交響曲。こちらはぐっと遅く1965‐66年の作曲だ。ショスタコーヴィチでいえば第十三番と第十四番の間の時期に該当する。
第一番が切れ目のない単一楽章(三部分に分かれるが)なのに対して、こちらは緩急急緩の四楽章に明確に分かたれる。その意味でこれは古典的な枠組に依拠したシンフォニーと一応いえるのだが、内容的にはたいそうパセティックな心情吐露を伴い、深いところからこみ上げてくる音楽との感が強い。書法の練達は驚くほどで、管弦楽を聴く醍醐味が全曲を貫いている。
この第八交響曲を覆う悲愴感にはわけがある、とCDのライナーノーツは事情を明かす。以下は悉くそこからの受け売りである。
トゥビンは1944年9月、第二次世界大戦の末期にタリンを去り、スウェーデンに亡命した。ナチス占領下のエストニアをソ連軍が猛襲し、この国に侵攻したためである。ソ連軍進駐を嫌い、この前後に一万人ものエストニア人がスウェーデンに逃れたのだという。
それ以来、トゥビンはストックホルムに居を構え、由緒あるドロットニングホルム王立歌劇場に職を得て、古いオペラやバレエの復元や、ピアノ譜の作製などで食いつなぐ。1945年にはストックホルム・エストニア男声合唱団の指揮者となり、長くその職にあった。彼のキャリアはエストニア時代とスウェーデン時代とに二分され、交響曲も第五番(1946)以降はことごとく亡命先で書かれることになる。さて第八交響曲であるが、これについてはライナーから直接引こう。
間接的ながら、この楽曲には1961年に彼が敢行した戦後初のエストニア訪問にまつわる彼の心の煩悶が反映している。この訪問後、トゥビンは一部のエストニア亡命者サークルから手酷く批難された。彼はコミュニストと手を組んで、エストニア占領を認めないという大義を裏切ったと攻撃されたのである。故国ではトゥビンの作品はわずかながら演奏されていたものの、彼は同時にこの地で敬遠されもした。共産党の担当者はKGBと組んで、トゥビンの帰国と占領下での生活を強く要請した。こうした経緯から、トゥビンは故国でも亡命先でも容認されなくなり、そのことが彼の精神に影響を及ぼしたのは確かである。1960年代の諸作品はこうした心境のなかで書かれることになる。[…]交響曲第八番は1966年4月5日に完成し、初演は67年2月24日、ネーメ・ヤルヴィ指揮のエストニア放送交響楽団(現・エストニア国立交響楽団)によってタリンで行われた。
音楽をその創り手の境遇と結びつけて安易に語ることは厳に慎まねばなるまいが、この時期のトゥビンが孤立無援の立場へと追い詰められていたことは間違いない。
ともあれ、これまで名前のみだったこの作曲家が鮮明な相貌を備えた存在としてたち現れてきたことを嬉しく思う。本盤の指揮者アルヴォ・ヴォルメル Arvo Volmer は甚だ優秀であり、冷静沈着に管弦楽団を統率し、音楽そのものに物語らせようとする姿勢を崩さない。徒に悲劇性や悲愴感を煽りたてることもしない。いずれ他の交響曲も同じ面々の演奏で聴いてみたいと希っている(ヴォルメルはヤルヴィに次ぐ第二のトゥビン交響曲全集を仕上げているのである)。
当面はそれに先立ち、架蔵する乏しいCDから次の二曲を聴こうと思っている。
交響曲 第二番「伝説的」 (1937)
ペーテル・リリエ Peeter Lilije 指揮 エストニア国立交響楽団
"100 Years of Estonian Symphony" 所収
Estonian Radio Productions ERP 604 (2004)
弦楽のための音楽 (1962-63)
ユハ・カンガス Juha Kangas 指揮 オストロボトニア室内管弦楽団
"The Heino Eller School" 所収
Finlandia 3984-21448-2 (1998)