はじめてパリを訪れたのは1993年の12月。小生はもう四十一歳になっていた。親切な友人で「旅の達人」を自称する梅田英喜氏に誘われ、ロンドンまで音楽行脚しに来た旅の続きだった。
フォーブール・サン=トノレの宿で荷解きしたら、あとは「さあ、沼辺さん、昼間は自由行動ですからね!」とばかりに街へ放り出された。梅田氏の偉かったのは、みだりに海外初心者を右へ左へと引き回さずに、「自分自身の眼と足とで」その都会を発見させようと導いてくれたことだ。
そうはいっても、地図一枚を片手にいきなりパリの中心部へと送り出されて、いささか困惑もしたし、心細くもあった。旅行ガイドの類いは一切持参しておらず(それだけ先達を頼りきっていたのだ)、ただもうあてどなく、この大都会をほっつき歩く仕儀と相成った。究極のフラヌールといったらよかろうか。
この広大なパリの街路の、どこをどう歩けばよいのか。
そのとき小生の脳裏に、十年ほど前に小学館で美術書の編集を手伝った際に、執筆者のひとりが「パリだったら、19世紀の商店街が残っているパサージュというのが面白い。ビブリオテーク・ナシオナル近くの****という通りが一見に値する」と語っておられた言葉がふと浮かんだ。パサージュとは硝子屋根つきの古い商店街の謂いで、その流行はヨーロッパ各都市にも伝播し、最後に遥々わがニッポンにももたらされて「中野ブロードウェイ」や「阿佐ヶ谷パールセンター」の原型になったのだという。
うろ憶えなので肝腎の通りの名****がどうしても思い出せない。そもそもビブリオテーク・ナシオナル(パリ国立図書館)はどこにあるのか。それすらわからない。
幸い手許の粗略な地図にも国立図書館は載っていた。しかも今いる場所からそれこそ指呼の距離にある。コメディー・フランセーズ脇を抜け、不思議な回廊広場(あとで調べたらパレ・ロワイヤル)を斜めに横切って裏手に出ると、もうそこは国立図書館の古い建物のある一郭である。
さあ、肝腎の通りの名前を思い出さねばならない。ええと、確か「V」で始まる名前ではなかったろうか。ヴァ…、ヴィ…、ヴェ…、さあなんといったか。
困り果ててふと目の前の街路表示を見上げると、そこには rue Vivienne とある。
そうだ、ヴィヴィエンヌだ! ヴィヴィエンヌのパサージュだ!
お目当てのパサージュの入口はいともたやすく見つかった。建物に穿たれた開口部の上方に、麗々しく金文字で Galerie Vivienne と表示してあったからだ。もう夕方近い時間だからか、建物を貫くトンネル状の歩廊はほの暗く、人影も絶えてない。
勝手に入っても構わないのだろうか。恐る恐る足を踏み入れた。
(次回につづく)