(昨日のつづき)
普段はそんなことは忘れたふりをしているのだが、実はこれは重たい問題だ。
その楽曲に感動したのか、それともその演奏に心奪われただけなのか。
この両者を分けることはできないのを承知の上で、それでもずっとその「答えのない質問」を心の奥底で反芻し続けてきた。実のところ今でもそうだ。
中学から高校にかけて、集中的にクラシカル音楽を貪り聴いた。まあ時間がたっぷりあったし、耳にするもの、なにもかもが新鮮で好奇心をそそった。はじめて聴いて、途端に好きになるという体験の繰り返しだったと思う。
たとえばブラームスの第四交響曲がそう。
あれは忘れもしない1968年のこと、美しい白髪で小太り中背の外国人指揮者が指揮するのをTV中継で視聴して、いっぺんにこの曲に惚れ込んだ。なんと渋くて味わい深い音楽なんだろう。哀しみや憂愁とも違う、なんとも名付けようのない複雑な感慨が溢れていて、しかも情熱や憧れにも欠けていない。オーケストラはドイツの地方都市から招かれて初来日したのだという。聞いたことのない街の名だった。
その日の演奏は後日TVで再放映されたし、FMでもAMでも繰り返し放送された。招聘元がNHKだったので、ひときわ肩入れしていたのだろう。そのせいもあって、このブラームスがすっかり染みついた。刷り込まれた、といってもよさそうだ。困ったことに、四十年後の今まで、第四交響曲に関する限り、このとき聴いた実況を超える演奏に一度も出遭っていないような気がするのである。
はじめてだから感動したのか。それとも、ほんとうに素晴らしい演奏だったのか。長くそのことが気にかかっていた。レコード演奏だったら聴き直して検証できるのだが、生演奏の中継とあってはそれも叶わない。そもそも放送局にあのときの実況録音は残っているのだろうか。
三十五年もの歳月が経過した2003年、全く思いがけなく、キングレコードから二枚のCDが発売された。
"Keilberth Bamberg Symphony Orchestra 1968 Tokyo Live"
ウェーバー: 歌劇「オイリアンテ」序曲
ベートーヴェン: 交響曲 第三番、序曲「レオノーレ」第三番
1968年5月15日、東京文化会館 (実況)
リヒャルト・シュトラウス: 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
ブラームス: 交響曲 第四番
ワーグナー: 楽劇「ニュルンベルクの親方歌手」第一幕への前奏曲
1968年5月20日、東京文化会館 (実況)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団
キングレコード KICC 421/22 (2003)
発売と同時に手に入れた。件のブラームスもちゃんと収録されている。
でも正直なところ聴くのが怖かった。もしも取るにたらない凡庸な演奏だったらどうしよう。その可能性は充分にある。なにしろ高校一年の春に聴いたきりなのだ。ずっと思い続けてきた初恋の女性に数十年ぶりで再会するような慄きを胸に、ディスクをそっとケースから取り出した。
35年ぶりに聴き直したカイルベルトのブラームスは至高の演奏だった。どこにも力んだり構えたりしたところがなく、音楽はいとも自然に淡々と流れるのだが、それでいて万感が胸に迫るような、そんな魔法のようなブラームスだったのである。豊かな情感に溢れながらも、徒にペシミスティックな諦観に陥らず、覇気と愉悦感もそこここに漂う。バンベルク交響楽団も秀逸だ。ベルリンやウィーンの楽団のような輝きには乏しいけれど、弦の味わいはしみじみと深いし、管楽器のソロも地味ながら健闘している。少なくともこの曲を味わう上で不満はどこにもない。
この演奏でブラームスの四番と出会えた幸運を天に感謝したくなった。それとともに、幼稚ながら聴き分ける耳だけはあったのかな、と少々自分の鑑賞能力を見直してしまった。だからどうだ、というわけではないのだが、なんとなく嬉しかったのだ。
ヨーゼフ・カイルベルトの名をそれまで知らなかった。その少し前、N響を振りに二度来日してはいたが、レコード録音が極度に少なく、活動の主たる舞台がオペラ(ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場)ということもあって、極東のわれわれに縁遠かったのは致し方あるまい。
ドイツにはこんな素晴らしい指揮者がいるのか。朴訥として人なつっこく、しかも凛とした風格があり、秘めた情熱が滲み出るような指揮姿もたいそう良く、視覚的にもすっかり心を奪われてしまった。
カイルベルトがいっそう忘れがたいのは、このときの映像が生前の彼を拝む最後の機会となってしまったことだ。
1968年7月20日、というから東京でブラームスの稀有な秀演を聴かせたちょうど二か月後、ミュンヘンの歌劇場で『トリスタンとイゾルデ』を指揮しているさなかに心臓発作を起こし、そのまま帰らぬ人となってしまったのである。享年六十。
楽劇が第二幕に入り、ちょうど「愛の死」の場面に差し掛かったまさにそのとき、ピットでどうと人が倒れる音がしてアンサンブルは混乱し、客席は総立ちとなった。イゾルデ役のビルギット・ニルソンはじめ皆が泣き叫び動転するなか救急車が呼ばれたが、もはやなす術もなかったという。公演はもちろんそこで中止となった。
その一部始終は当日たまたま観劇中だったドイツ演劇研究家の内垣啓一氏によって目撃され、生々しいレポートが『音楽の友』(だったか)に載ったことも忘れられない。
あまりにも劇的な最期だった。二か月前の来日公演を間近に聴いた人々は、過酷なスケジュールの長旅がカイルベルトの死の引金になったのではないか、という疑念を拭い切れなかったはずだ。
NHKはすぐさま追悼番組を組んで、その突然の死を惜しんだ。彼はN響の名誉指揮者でもあったのだ。小生の脳裏にカイルベルトの指揮姿がかくも鮮明に焼きついて消えないのは、おそらくこのときにバンベルク響やN響を振る生前の映像を繰り返し観たためなのだろう。
あれから四十年。今日はカイルベルトのちょうど百回目の誕生日なのである。