小生のようにフリーランスでこつこつ調べものをしている人間にとって一番の悩みの種は、勉強に欠かせない書物や雑誌類である。必要だと思ったら身銭を切って手に入れるほかない。
そのために図書館があるじゃないか、と思われるかもしれないが、小生が閲覧したい資料はどこの公共図書館にも架蔵されていない場合がほとんどだ。一例をあげるなら、昨日のエントリーでも言及した大田黒元雄の著作『露西亜舞踊』(音楽と文学社、1917)などは、国会図書館にも日本近代音楽館にも所蔵されておらず、現物に触れるには古書店で入手するほか手がないのだ。こんな重要な書物ですらそうなのだから、戦前の雑誌類を通覧しようと思ったら、各地の図書館や文学資料館を巡り歩いて、それでも全巻を調査すること能わずという結果になる。そのための交通費やコピー代だってもちろん自分持ちだ。まあ、好きでやっているのだから、今さら文句を言ってみても始まらない。
そんなやり方で大丈夫なのか、と問われれば「仕方がない、それ以外に方法がないのだ」と答えるほかない。文部科学省から然るべき研究費が支給される本職の研究者(概ね大学の先生方)とはまるで条件が異なり、自助努力で亀のようにのそのそと、少しずつ前進していくしかない。大袈裟に言うならば、そこにこそ在野の研究者の「栄光と悲惨」があるのだ。小生の名が少しは世に知られるようになった展覧会「幻のロシア絵本 1920-30年代」(2004-05)だって、そこに行き着くまでの二十五年間(最初にロシア絵本と出会ってからの歳月)は、そうした人知れぬ緩慢な助走期間だったのである。
とはいうものの、例えば探している資料が大学の図書館に収蔵されているような場合、どうしてもそれを閲覧したくなる。数年前、1928年にソ連で催された「日本児童書展」を調べていて、当時モスクワで刊行された稀少な定期刊行物が早稲田大学の図書館にあると判明したことがあった。一般的にまだ大学図書館は外部の者に門戸を開いてはおらず、容易に閲覧が叶わない。奥の手としては、自分の卒業した大学の図書館に赴き、卒業生であることを証したうえで、別の大学図書館宛の紹介状を書いてもらう、という方法もあるにはあるのだが、小生のように高校までしか出ていない者にはその手も使えない。
ほとんど万事休すの状態なのであるが、まことに幸運なことに、たまたま小生はそのとき一年間の期限付きで和光大学の非常勤講師を引き受けていた(知人の同校教授が「サバティカル休暇」とかで、ピンチヒッターが必要だった由)。そこで、同校の図書館にお願いして早稲田の図書館宛の紹介状を書いてもらい、垂涎の的だった戦前の雑誌に到達することができた。「そうか、やっぱり大学に所属していると、いろいろメリットがあるのだなぁ」とつくづく思い知らされた次第である。
その意味で、小生にとって今年はチャンスの年といえなくもない。秋に千葉大学の非常勤講師(といっても五回ほど連続授業を行うだけなのだが)を引き受けたので、その資格を使って同大学はもちろんのこと、他の大学の図書館へもアクセスが可能になる。あくまでも期限付きの「シンデレラ・リバティ」ではあるのだが、これを活用しない手はない。そもそも、その連続講義にだって準備のため図書館での下調べが必要になるはずだ。
四月になって、千葉大学から「非常勤講師に任命する」という書類が届くかと思いきや、今日(4月16日)現在、梨のつぶてのままだ。二月だったかに履歴書を送ったきりなんの音沙汰もない。ちょっと心配になって、念のため大学HPの授業予定表(シラバス)を見ると、ちゃんと小生の名と授業内容が明記されているではないか。雇用関係の成立を通知もされず、いちいちHPで確認している自分がなんだか滑稽に思われてならない。
そこにあった電話番号(学務課)に問い合わせると、お座成りでサッパリ要領を得ない無責任な返答しか得られず、別の部署に回された挙句、「そういうことならば、特別に『大学職員証』を発行するから、所定の用紙に写真を添付して提出するように」とのお達しであった。いやはや、ここの対応の「お役所ぶり」は夙に承知してはいたが(
→ここ)、「人を人とも思わぬ」居丈高な態度は実にもう周知徹底されていて感心する。マニュアルでもあるのか知らん。
若い頃だったら、ここで卓袱台をひっくり返していることだろう。今はもういい歳こいた人間だから、「大学図書館を利用したい」一念でじっと我慢するほかない。