先日、家人に付き合って近所の図書館に出向いたとき、何気なく借りてきた本。
井上ひさし・こまつ座 編著
菊池寛の仕事
ネスコ/文藝春秋
1999
菊池寛の人と仕事を要領良く、というか、面白可笑しく、というか、一冊に纏めた本だが、大方が再録ものであり、なんとなく隔靴掻痒の気味もあり、殆ど裨益するところはなかった。
ただ一箇所だけ、親族の方々が語る座談会「父としての菊池寛」のなかに、たいそう気になる発言があった。菊池の次女・ナナ子さんが「おとうさんは女の人にやさしかった」と評したのに対し、長女・瑠美子さんが付け加えたこの一節である。
フェミニストっていうのよ。たとえば、当時[註=昭和初年]、女性は女子大を出たってあまり就職なんてない時代でしょ。だから、そういうインテリ女性の生活を考えて、文筆婦人会っていうのを作って、教養のある女性たちを作家の秘書にしたりしてたわ。石井桃子さんも最初はそうだったし、岸田國士夫人なんかもそのひとりだった。
ここで石井桃子の名に出会うのは不思議でもなんでもない。よく知られるように、彼女の才能を見出し、編集者・文筆家として導き育てたのは、間違いなく菊池寛その人なのである。
ただし、彼女がこの「文筆婦人会」なる組織に属していた、という証言は、厳密にいえば事実に反するのではないか。
昨秋、石井桃子の文春時代を調べるべく、当時の『文藝春秋』誌面を通覧したとき、こんな一面広告を見つけた。ちょっと長くなるが、煩を厭わず引用しておこう。
御 披 露
今度私達は、文藝春秋社内に「文筆婦人会」と云ふのを組織致しました。私達は働きたいのですが、然し私達文筆婦人を使つて下さる処は容易に見当りません。しかし、私達を月に三四日宛使つて下さる仕事は、沢山ありはしないかと思ひます。私達はさう云ふ仕事を蒐めて働きたいのです。
(A) 私達は「文筆派出婦人」として次ぎのやうな仕事のお手伝ひに皆様のお手許に出張致します。
一、口述筆記。
一、手紙及び封筒の執筆及び発送
一、編輯校正
一、タイプライチング
一、原稿の清書、蔵書整理
一、その他文筆的仕事のお手伝
(B) 社では左の如きお仕事をします。
一、翻訳。
一、原書代読(お忙しくて原書の参考書などお読みになる暇のない方の代りに、原書を読み筋をお書き致します。)
一、名家訪問引受(御依頼に応じ名家を訪問して談話記事を作製致します。)
一、色紙短冊執筆依頼引受(文工画家に方の色紙短冊御希望の方は相当の代金お送り下されば執筆方を依頼致します。)
一、手紙執筆封筒執筆その他
一、パムフレツト等の編輯
私達は、女性と云ふハンデキヤツプなしに充分働くつもりです。私達の過半は女子の最高教育を受けて居りますので、思操能力の点で充分皆さまの期待に副ふことが出来ると思ひます。どうか、どんな仕事でも結構ですから、御用命をねがひます。
出典は『文藝春秋』の1929(昭和四)年四月号。これを読むと、いかにもそこに若き日の石井桃子がいてもおかしくないと思えてくる(彼女は当時の「最高教育」機関たる日本女子大をその前年、1928年に卒業していた)。
しかしながら、この広告の末尾に「文筆婦人会同人」が十二名ずらりと書き連ねられているのだが、そのなかに石井桃子の名は見出せない。
文筆婦人会 同 人
素木なほ子 群瀬 素子 池 ひろ子 三浦 夏子 岩崎登貴子 須山 哲 谷 直江 入江 望子 萩原しづ子 沖 さわ子 諏訪 美沙 奈加とも子
このどれかが彼女の変名ででもない限り、石井桃子は少なくとも「文筆婦人会」発足時、そこには籍を置いていなかったことになる。
(次回につづく)