外を歩くと汗ばむほどの陽気。のんびり長閑に晴れ上がり、今日こそ本年の観桜のラストチャンスだ。
飯田橋駅で降りて、線路脇の桜堤を市ヶ谷までゆっくり歩く。さすがにもう葉桜になりつつあるが、木によってはまさに散り際のもあり、そよと風が吹いただけで盛大に花吹雪が舞う。美しさの極みである。市ヶ谷駅前の交叉点を渡り、今度は市ヶ谷から四谷へ向かう。ここも桜堤がずっと続いている。四谷に着くと、駅前商店街がテントを張り出し、甘酒を無料で配っている。ありがたく頂戴し、紙コップを零さぬように持って、上智大脇の桜堤へ。ここで甘酒をいただき、今年の花見の総仕上げとした。ほどなく終着点の紀尾井町に到着。
飯田橋から紀尾井町まで、ざっと一時間半ほど歩いたろうか。ほとんど途切れなく桜が続くのはまことに圧巻。日曜のせいか、人影はちらほら。静かな花見ができて幸せだ。
今日の目的地は紀尾井ホール。原稿執筆を抱え、とても来られそうにないと観念していたが、昨日だいぶ捗ったところから、「ええい、ままよ」とばかり抜け出してきた。少し待って当日券を購入。
オーケストラ・ニッポニカ 第13回演奏会
日本の交響作品撰集 1928-1946
紀尾井ホール 14:30開演
金井喜久子: 交響詩曲「梯梧の花咲く琉球」 (1946)
平尾貴四男: 古代讃歌 (1935)
深井史郎: 交響的映像「ジャワの唄声」 (1942)
松平頼則: ピアノとオルケストルの為の変奏曲 (1939)*
橋本国彦: 感傷的諧謔 (1928)
山田和男: 交響的「木曾」 (1939)
本名徹次 指揮 オーケストラ・ニッポニカ ピアノ/渡辺達*
音楽はとにかく音が鳴らなければ始まらない。戦前・戦中の日本近代音楽、とりわけ管弦楽曲とオペラについて知りたいと思っても、楽譜の所在が不明なものが多いし、そもそも実演の機会も手に入るディスクも、呆れるほど乏しい。日本の音楽界には「近過去」がないのだ。
いったいに日本人は過去に無頓着だし、戦後の前衛音楽隆盛により戦前と大きな断絶が生じたこと、さらには戦時色を帯びた文化への拒否反応などが拍車をかけ、1945年以前の音楽が長らく等閑視される結果となった。この嘆かわしい忘恩行為に憤り、歴史の闇に埋もれ、忘れられたそれらの楽曲の発掘・蘇演に力を尽くすのが、アマチュアの管弦楽団「オーケストラ・ニッポニカ」なのである。
今日の六曲にしても、深井史郎の一曲を除くと、小生は初めて耳にするものばかり。さすがに曲の出来やオーケストレーションの巧拙はさまざまだが、そうした感想だってこうして音になって初めて抱くことが可能になるのだ。
二曲目の平尾貴四男作品で「おや、流石フランス仕込の音色だな」と感心していたら、三曲目の深井史郎「ジャワの唄声」が始まった途端、電撃が走ったように感じた。こ、これは凄いぞ、この響きはホンモノだ、と。
この曲には当時のSP(朝比奈隆)もあったし、例の Naxos の「深井史郎集」にも収録されていたのだが、正直言って、平板で茫洋とした退屈な曲、という印象しかなかった。それがどうだろう、この光彩陸離たる響き、鮮やかに仕組まれた構成は! 戦時中の「大東亜共栄圏」音楽という「負」の要素さえなければ、これは戦前・戦中を通じ日本人の手がけた最も巧みな交響作品なのではないか。
すっかり打ちのめされ、休憩時にホール正面脇で呆然と煙草をふかしていたら、「あら沼辺さん!」と声をかけられた。いつもお世話になっている日本近代音楽館の林淑姫さんだ。昨年末の "Prokofiev in Japan" の論考執筆の際もいろいろご教示いただいた。
思わず、いま耳にした音楽への驚きを口にすると、「私も感動しました。今日の本名さんの指揮は素晴らしい!」と、興奮を抑えきれぬご様子。「あの時代に独学でここまで到達できたなんて信じられない」と小生が呟くと、すかさず「深井史郎は天才なんです」と、ちょっと声を震わせた。林さん曰く、例の Naxos のCDの演奏はあまり褒められた出来ではなく、今日の演奏でこそこの曲の真価がわかった、とのこと。「これは『パロディ的な四楽章』と並ぶ傑作ですよ」。
そのあと、後半の三曲では山田和男の「木曾」が断然良かった。木曾の民謡、とりわけ「木曾節」がばっちり出てくるので鼻白むかと思いきや、その処理の仕方が実に音楽的なため、ちっとも厭味じゃなかった。これは聴きものであった。
設立六年目に入ったというオーケストラ・ニッポニカの今後の活躍に、心からエールを送りたい。「誰もやらないなら、自分たちがやる」という意気込みが何より尊いのだ。あまたある在京管弦楽団の諸氏よ、少しは彼らを見習い給え。
五時近くに終演。深く心に残る演奏会だった。そのまま再び四谷堤の桜の下を四谷まで歩いて、今年の見納めの花見とした。