先のエントリーを書きかけのままひとまず放置し、朝から「ロシア・アヴァンギャルドと絵本」なる論考の執筆に取りかかる。ほんとうは二月中に仕上げねばならぬ約束だったのだが、無理からぬ(と小生が考える)事情があったため、締切を一か月ほど繰り延べてもらった。その期限も疾うに過ぎてしまった今、なんとしてもこれを仕上げねばならない。切羽詰まっている。
与えられた命題の大きさに比して、紙数は四百字詰めで五枚プラス註釈というわずかなもの。むしろ短く書くことの困難さを噛み締める。まあ、さっさと書いてしまえばよいのだが。
執筆の傍ら、ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕百年記念演奏会を催す。つまりは手持ちのCDを片端からかけていく。
バルトーク: ピアノ協奏曲 第三番*
シューマン: 交響曲 第四番
ピアノ/ゲーザ・アンダ*
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
1972年8月13日、ザルツブルク、祝祭大劇場 (実況)
Deutsche Grammophon 447 666-2 (1995)
グルック: 歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』
オルフェオ/ジュリエッタ・シミオナート
エウリディーチェ/セーナ・ユリナッチ
アモーレ/グラツィエッラ・シュッティ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団
1959年8月5日、ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ (実況)
Deutsche Grammophon 439 1010-2 (1993)
ヴェルディ: 歌劇『ドン・カルロ』
フェリーぺ二世/チェーザレ・シエピ
ドン・カルロ/エウジェニオ・フェルナンディ
ロドリーゴ/エットレ・バスティアニーニ
エリザベッタ/セーナ・ユリナッチ
エボリ公女/ジュリエッタ・シミオナート ほか
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団
1958年7月26日、ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ (実況)
Deutsche Grammophon 447 655-2 (1995)
マエストロの急逝後ほどなくして出た一連のザルツブルク音楽祭のライヴ。これらこそは指揮者カラヤンの存在の比類なさを強く印象づける、瞠目すべき演奏記録だった。その割りにあまり注目されなかったのはどうしてだろう。
正規録音のないバルトークの協奏曲がまずもって凄い。嫋々たる艶かしさはどうだ。甘美なまでの抒情性に「こんなバルトークって、ありなのか?」と疑問を抱きつつも、ほどなくその官能的というほかない響きに心奪われること必定なのである。もしかして、他の指揮者が志向するストイックに痩せ細ったバルトークこそ誤りなのでは…という思いが脳裏を掠める。
続くシューマンも堂に入った演奏。ロマン性の横溢と骨太な構成感が無理なく一体をなし、これこそ理想のシューマンと言いたくなる。以上の二曲は珍しくもドレスデンの歌劇場管弦楽団との共演。ザルツブルクならではの出来事だが、それにしては呼吸もぴったり、燻し銀の音色に輝きが加わって、これは極上としか形容のしようのない演奏だ。
そのあとのオペラ公演ふたつはこれぞザルツブルク音楽祭の精華であり、カラヤンの真骨頂を示す演奏記録でもある。綺羅星の如き名歌手を巧みに誘導しながら、妥協を配した音楽のドラマを構築する才知は全く比類のないものだ。われわれは十一度に及ぶ来日演奏ですっかりカラヤンの音楽を知悉した気になっていたのだが、肝腎なオペラを聴かずして何事も語れないのではないか。そうした望蜀の念を禁じえない。こうした場に居合わせられなかった身の不幸を思い知らされる。
プッチーニ: 歌劇『ラ・ボエーム』
ロドルフォ/ジャンニ・ライモンディ
ショナール/ジュゼッペ・タッデイ
マルセル/ロランド・パネライ
ミミ/ミレッラ・フレーニ
ムゼッタ/ヒルデ・ギューデン ほか
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団
1963年11月9日、ウィーン国立歌劇場 (実況)
RCA 74321 57736 2 (1998)
いやはや、参ったなあ、これまた素晴らしい上演だ。シュターツオーパー時代のカラヤンが常日頃からいかに優れたオペラ公演を心掛けていたかがわかる録音である。プッチーニの音楽を真剣に捉え、徹底的にドラマ化しているのが何より素晴らしい。
次のもオペラだが、こちらはちょっとこわごわ聴いてみる。
モンテヴェルディ (エーリヒ・クラーク編): 歌劇『ポッペアの戴冠』
ポッペア/セーナ・ユリナッチ
ネローネ/ゲルハルト・シュトルツェ
オッタヴィア/マルガリータ・リローヴァ
オットーネ/オットー・ヴィーナー
セネカ/カルロ・カーヴァ ほか
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団
1963年4月1日、ウィーン国立歌劇場 (実況)
Deutsche Grammophon 457 674-2 (1998)
これはまあ、なんというか、隔世の感の漂う演奏だ。われわれの知る『ポッペア』とまるで別の世界の音楽。リアリゼーション(というか自由な編曲)の発想が今と異なるのだから致し方ない。カラヤンはこれをグルックの『オルフェオ』の先達、イタリア・オペラに直結する源と捉えていることは明らかだ。とはいうものの、最後の「愛の二重唱」ではちょっとホロリときた。
今日の記念演奏会の締め括りは、とっておきのライヴ録音。
チャイコフスキー: 交響曲 第六番 「悲愴」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 NHK交響楽団
1954年4月21日、東京、日比谷公会堂 (実況)
Deutsche Grammophon (Japan) POCG-10175 (1999)
カラヤンが単身初来日してN響を指揮した際の貴重な実況録音。
これが実に引き締まった名演なのである。非力なオーケストラを導いて、これだけ音楽的に筋の通った演奏に仕立てる四十代のカラヤンはやはり只者じゃない。チャイコフスキー解釈としても、この真率な「悲愴」は後年のものよりずっと好もしいとすら思われる。