花見川の花見から帰ってきて、新たな気持ちで原稿に取りかかったら、あら不思議、残りはすらすら書けて、たった今、仕上がった。
恩地孝四郎が1915年、おそらく世界で初めて完全な抽象版画を創り出す話。この時点ではまだ、モンドリアンもカンディンスキーもマレーヴィチも、抽象絵画に踏み切れず、具象と抽象のあわいを行き来していたことを考えると、これは信じがたい早さである。
なぜそんな大それたことが恩地に可能だったのかについては、一言も書けなかった。当然だ、どんな研究者にもまだ解明できていないのだ。
原稿を書きながら、一昨日、花見に出掛けたついでに吉祥寺で見つけてきたCDをターンテーブルに載せ、繰り返しかける。
プロコフィエフ:
劇音楽『ハムレット』 作品77 (全曲)
劇音楽『ボリス・ゴドゥノフ』 作品70bis (全曲)
ミハイル・ユロフスキー指揮 ベルリン放送交響楽団
2003年3月4〜7日、ベルリン、ダーレム、イェズス=クリストゥス聖堂
Capriccio 67 058 (2003)
プロコフィエフの歿後五十周年に録音・発売され、あっという間に世界中で品切になってしまった稀少盤を中古で呆気なく見つけ出した。
『ハムレット』は演出家セルゲイ・ラードロフとの協働作業。ラードロフはメイエルホリド門下の俊英。プロコフィエフの学生時代からのチェス仲間であり、プロコフィエフのオペラ『三つのオレンジへの恋』のレニングラード上演に演出家として関わったほか、バレエ『ロミオとジュリエット』の台本作成にも深く関与した。『ハムレット』の作曲は1937年から38年にかけてなされ、1938年5月15日、レニングラードのドラマ劇場でラードロフの演出により初演された。
一方の『ボリス・ゴドゥノフ』はメイエルホリドとのコラボレーション。1936年の「プーシキン百年祭」に際し上演が企てられたが、プロコフィエフが関わった同種の企て(舞台『エヴゲニー・オネーギン』と映画『スペードの女王』)とともに、当局の方針により上演中止となった。
前者の音楽については、すでにヴラジーミル・ポンキン指揮の録音(Saison Russe)であらかた聴いていたが、後者については部分的にアレクサンドル・フローロフの古いモノラル録音(Consonance)で知りうるのみだったから、このユロフスキー盤の存在価値は甚だ高い。しかも、想像していたとおり、演奏水準はきわめて高く、表情も豊かだし、間然とするところが少しもない。ライナーノーツもきわめて懇切丁寧で、演出家ラードロフの悲劇的な末路についても縷々語られている。
驚いたのは、『ハムレット』にも『ボリス』にも、後年のバレエ『シンデレラ』に転用された音楽があったこと。プロコフィエフにはこの種の再利用がいろいろあることは承知していたが、実際それを耳にすると、なるほどなあ、と深く頷く。
続いては、やはり吉祥寺で見つけたCDなのだが、こんな懐かしい演奏。
「エルネスト・アンセルメの芸術 第Ⅱ期」
チャイコフスキー: バレエ『白鳥の湖』 (短縮版全曲)
プロコフィエフ: バレエ組曲『シンデレラ』
エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
1959年6月、1961年10月、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール
ユニヴァーサル Decca UCCD-3033/34 (2001)
アンセルメのプロコフィエフを聴くのは何十年ぶりだろう。
ちょっと恐る恐るという感じで聴き始めたのだが、いやこれはこれで大した名演であるわいと感嘆久しうした。スイス・ロマンドの技量は恐らく今日の水準からすると中の下にも届かないのだろうが、そんな欠点はほとんど表面に出ず、ひたすら光彩陸離たる音楽の弾けぶり、アンセルメのリズムとテンポ感の良さ、曲ごとの性格付けの巧みさに唸るばかり。
このチャーミングな演奏をかつて聴いていながら、『シンデレラ』を退屈で大甘な音楽と断じた小生の愚かさ加減にも程があろう。
(追記)
このあと、夜は拙文英訳の続き。いよいよ大田黒元雄のバレエ・リュス体験に突入した。冒頭の二十行ほどを一気に訳す。なんだか今日はとても捗る日だ。いつもこうありたいものと切に願う。