昨晩はいきなり倫敦から急ぎのメールがあって慌しかった。例のプロコフィエフ財団の機関誌 "Three Oranges" 編集長からなのだが、もう校了間近とあって息せき切った感じ。小生も編集を生業としたことがあるので、切迫感がよくわかる。
小生の論考ではなかったが、付随する図版キャプションについての質問。すぐに調べて、お答えする。「あとは大丈夫ですか?」とお訊ねすると、「ほかの図版については、あなたが提供したものを含め、不明なところはないわ、問題なしよ!」とのこと。このあとは日本風にいうなら、責了(もう編集者は訂正できない)そして印刷・製本のはこびとなる。五月刊行なので、まあこんな進行具合なのだろう。
ほんの一部分だが、デザインされた誌面を垣間見て、感慨がひとしお。
"Motoo Ohtaguro Interviews Prokofiev" の大きな文字が躍る。そして、その下には小生が探してご提供したプロコフィエフ&大田黒夫妻の記念写真(1918年8月1日、大森にて)がくっきりと。大田黒元雄はついに「世界デビュー」を果たすのだ、との実感がむくむくと湧いてきた。こんな嬉しいことはない。
そんな次第で深夜過ぎに就眠したのだが、六時前にもう目が醒めてしまう。何やら訳のわからぬ胸騒ぎを覚えて、ハッと飛び起きる。また倫敦から急ぎの調査依頼ではないか、とパソコンを立ち上げてみると、大切な友人から心のこもった近況メールが思いがけず届いていて、これもしみじみ嬉しかった。
やがて起き出してきた家人と連れ立って、午前中に江古田へ出向く。要件そのものは一時間ほどで片付いたので、そのまま路線バスで中野駅へ出ることにする。バスは哲学堂公園の脇を抜けて、そのままずっと中野通りを南下する。すなわち、東京でも屈指の桜名所を車窓から延々と眺められるというわけ。東京では昨日だったか「開花宣言」が出されてはいるものの、今日こうして観察したところでは、まだほとんどの木が蕾のまま、一分咲きにも達していない。
この調子でいくと、桜の見頃まであと優に一週間はかかりそうだ。実はこの次の日曜日は旧友たち「荻窪大学」の残党どもと落ち合って、どこぞで花見の宴を催す計画なのである。これはまさに、絶好の時期にあたっているわいと、ひとりほくそえむ。あとは当日の天気次第だなあ。
帰宅したのは午後二時。締切間近の連載「旅するアート」を書かねばならぬ…のだが、外出の疲れなのか、寝不足からなのか、抗しがたい睡魔が襲ってきて、夕刻まで正体なく眠りこける。
さあ、そろそろ書き出しを考えねばならぬ。ああ、書き出し、書き出し…。