(承前)
田中友子さんと初めてお目にかかったのは2004年の2月、兵庫県の芦屋市立美術博物館で始まった「幻のロシア絵本 1920-30年代」展の関連イヴェントの会場でだったと思う。
1920年代末に絵本作家からアニメ映画作家へと転じたミハイル・ツェハノフスキーの監督作品三本立(『郵便』『バザール』『愚かな子ネズミ』、うち二本はショスタコーヴィチのオリジナル音楽付き!)という、滅多に観られないフィルム上映の合間に、ロシア映画史家の井上徹さんと小生が解説を挟むという催しだった。
ロビーでお目にかかった友子さんは単刀直入に「こういう展覧会を私もやりたかった」と、少し悔しそうに切り出されたあと、「でも今日のお話を聴いて、やっぱり沼辺さんのような方が監修されて良かったと思った」ともおっしゃった。その率直さにちょっと驚いたのを憶えている。彼女はモスクワに七年間も留学し、絵本やアニメーションといったソ連の子供文化をずっと研究されてきた。しかも卒論のテーマはほかならぬ、このツェハノフスキーだったと聞いて小生も吃驚した。もっと早くお逢いしていたなら、展覧会に協力していただけたはずなのにと、とても残念な気がした。
そのあとで、同展が夏に東京へ巡回した際、やはり関連イヴェントでモスクワからロシア・アヴァンギャルド研究で名高いアレクサンドラ・シャツキフ女史が来日されたとき、京都観光の先導役を彼女にお願いしたこともあった。あのときは本当にお世話になった。
その後は彼女が上京する際に何度かお目にかかる機会があったが、当方がこのところ絵本研究から遠ざかったこともあり、少しばかり疎遠になってしまっていた。
これから講演を控える友子さんはさすがに少々緊張気味。ちょっとお声をかけるのが憚られる雰囲気だ。パソコンを接続して画像を入念にチェック。小生も手持ち無沙汰なので、彼女が持参した同人研究誌『カスチョール』や翻訳絵本、絵葉書類の即売ブースの陳列をお手伝いする。
生憎の雨降りなので、はたして参加者が集まるかどうか心配していたが、二時近くなると三々五々、いつしか百人ほどの聴衆が講堂を埋めた。
友子さんの論題は「ロシア絵本とフォークロア」。ロシア民衆文化の底流をなす民話・民謡などの口承文化がいかにこの国の絵本を養い育てたかを、数多くの映像で例証しながら詳述された。かいつまんで要約するのは難しいが、もともと貧しい農民層が人口の八割を占めたロシアでは、長くフォークロアこそが民衆の唯一の娯楽であり慰安であったことから説き起こし、社会主義時代に国策として自国のフォークロアが称揚され、さかんに絵本化されたこともあって、夥しい数の民話絵本が生み出された、と説く。
なるほど、そのとおりだ、と頷く一方で、この見取り図は四年前の「幻のロシア絵本」展で小生が思い描いたものと全く背馳するものであることも痛感する。実際、あのとき会場に並んだ革命後の絵本のうち、伝統的なロシア民話をそのまま取り上げた例はほとんど皆無に等しかったのだ。
(まだ書きかけ)