今宵も引き続き、ロシアのチェリストを聴く。
ロストロポーヴィチ門下で、高度な技巧を身につけながら、大仰な身振りや巨大な造型を志向せず、燻し銀のような音色と真摯な表現で、師匠とはまるで異なるチェロの新境地を拓いたナターリヤ・グートマン。手持ちの限られたCDで彼女の過去の演奏を辿ってみよう。
"Natalia Gutman Portrait Series Vol.1"
ショスタコーヴィチ: チェロ協奏曲 第一番*、チェロ協奏曲 第二番**
シュニトケ: チェロと七つの楽器のための「会話」***
チェロ/ナターリヤ・グートマン
キリル・コンドラシン指揮 モスクワ放送交響楽団*
ドミートリー・キタエンコ指揮 モスクワ・フィルハーモニー交響楽団**
ユーリー・ニコラエフスキー指揮 グネーシン音楽院室内管弦楽団***
1976年6月21日、1986年11月11日、モスクワ音楽院大ホール (実況)
1982年1月2日、モスクワ、グネーシン音楽院 (実況)
Live Classics LCL 2020 (2000)
"Oleg-Kagan-Musikfest 1992 Sonaten fur Violoncello und Klavier"
サン=サーンス: チェロ・ソナタ 第一番
ブリテン: チェロ・ソナタ
プロコフィエフ: チェロ・ソナタ
チェロ/ナターリヤ・グートマン
ピアノ/スヴャトスラフ・リヒテル
1992年7月12日、ロータッハ=エーゲルン (実況)
Live Classics LCL 641 (1995)
ドヴォルザーク: チェロ協奏曲
チェロ/ナターリヤ・グートマン
ヴォルフガング・ザヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
1991年2月、フィラデルフィア、フェアマウント・パーク、メモリアル・ホール
EMI 7 54320 2 (1991)
シューマン: チェロ協奏曲
チェロ/ナターリヤ・グートマン
クラウディオ・アッバード指揮 マーラー室内管弦楽団
2006年3-4月、レッジョ・エミーリア (実況)
Deutsche Grammmophon Italia 476 5786 (2006)
ほぼ録音年代順に聴いてきて、つくづく悟ったのであるが、彼女こそは現代を代表する「心ある」チェリストだと痛感させられた。最も古い録音であるコンドラシンと組んだショスタコーヴィチがすでにそうなのだが、誇張や絶叫をことごとく排しながら、楽曲が求める切実なメッセージを確かな手応えで聴き手に伝えるという姿勢が貫かれている。アリフレッド・シュニトケが彼女のために新作を次々に書き下ろしたのも、むべなるかな。
晩年のリヒテルと組んだデュオではプロコフィエフがひときわ優れている。ロストロポーヴィチとともにこの曲の創演者であるリヒテルは、その愛弟子ながら全く異なるアプローチでこの曲に迫るグートマンに、プロコフィエフの神髄を伝えようとするかのように、愛情を込めて丁寧に弾いている。
そして、最新のライヴであるシューマンの協奏曲。これはまさしく至高の名演だ。グートマンのあらゆる美質がここに開花しており、渋いが肌理こまやかな音色も、慈しむようなフレージングも、一聴したところ淡々と、しかしその背後で感情がひたひたと溢れるような「歌」も、すべての要素が絡み合って、この協奏曲がいかに希有な音楽であるかを最上な形で証してみせた演奏。大病のあとだからか、驚くほどに透徹した音楽を紡ぎ出すアッバードの指揮ぶりにも、ちょっと評する言葉がない。シューマンの「内面への旅」を辿り直そうとする巡礼者グートマンの道連れとして、今のアッバードほど相応しい人物はいないかもしれない。
これを聴いてしまうと、かつて彼女がクルト・マズアと入れた旧盤(EMI)は一気に色褪せてしまう。むしろ、ジャクリーヌ・デュ・プレがバーンスタインと共演した同曲の驚くべきライヴ録音(1967)にすら匹敵する高みに到達した、これはおそらく唯一の演奏なのではないか。