先日あったアカデミー賞の発表で、もうひとつ見落とせないポイントがある。「短篇アニメーション部門」で受賞したスージー・テンプルトン監督作品『ピーターと狼』(2006)のことである(
→公式HP)。
本邦未公開なので、はたしてどんな作品なのか今ひとつはっきりしないが、プロコフィエフの原作に充分なリスペクトを払いつつ、新しい解釈や映像表現を付け加え、アニメ史に期を画する傑作になったと、欧米ではすでに評判の高いフィルムである。このたびのアカデミー賞受賞もそれを裏書きする。
だが今日はこの映画ではなく、もうひとつのアニメ版『ピーターと狼』を紹介することにしよう。ほかでもない、ウォルト・ディズニーが第二次大戦後まもなく製作した短篇映画である。
"Peter and the Wolf"
by Serge Prokofieff
1946
Walt Disney Pictures
Director: Clyde Geromini
Writers: Eric Gurney, Dick Huemer
Narrator: Sterling Holloway
手元にあるのは十年ほど前に出たブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント製のヴィデオ『ピーターとオオカミ』(VWSB 4076)である。これを久しぶりに書庫から持ち出して鑑賞。なんとも感慨深い作品だ。なにしろこれはディズニーとプロコフィエフの個人的な出会いが直接の契機となって創られたアニメ映画なのである。
話は1938年にまで遡る。
この年、プロコフィエフはモスクワから欧米への最後の演奏旅行に出た。もっとも、「最後の」とは結果的にそうなったというだけで、彼自身はそのあとも機会があれば外遊したいと願っていたことだろう。第二次大戦の勃発によって、その望みはあえなく絶たれてしまうのだが。
当時、あらゆる芸術活動に対するスターリン政権の締めつけと弾圧は苛烈さを極めていた。海外を志向する者は国家への忠誠を疑われ、外国の友人との交際や文通はそれだけで敵を利するスパイ行為とみなされた。ましてや、外国旅行なぞもってのほかだ。1935年に妻とふたりの息子とともにソ連に定住したにもかかわらず、プロコフィエフはその後も35年9月、11〜12月、36年12月と外遊を許され、ピアノ演奏とオーケストラ指揮で自作を披露するとともに、各地の友人たちとも旧交を暖めている。ソ連当局の彼への扱いは明らかに「特別待遇」だったのだ。
1938年1月、妻リーナとともにモスクワを発ったプロコフィエフは、ワルシャワ、プラハ、パリ、ロンドンで演奏会を催したのち、大西洋を渡った。米国内を忙しく公演して回る合間をぬって、彼は2月末から3月初めまでハリウッドにも滞在し、トーキー撮影の現場をつぶさに見学するとともに、ルーベン・マムーリアン、マルレーネ・ディートリヒ、グロリア・スワンソンらと会食している。
この滞在期間中、プロコフィエフはウォルト・ディズニーと面会したと思われる。モスクワの息子たち宛ての手紙に、彼はこう綴っているからだ。
アメリカのえいがのほとんどは、ハリウッドでつくられます。ここでは、いえも、おしろも、まちも、みんな、あつがみでできています。きょうは、さつえいげんばにいきました。…そうそう、ミッキーマウスの「パパ」のおうちにもでかけましたよ。ミッキーをさいしょにかんがえだして、スケッチしたのは、このひとです。
(3月4日につづく)