先日、たまたま手に取ったCDでドビュッシーのピアノ連弾曲「六つの古代碑銘 Six Epigraphes Antiques」を久しぶりに聴いて、懐旧の情に堪えなかった。
もともとはピエール・ルイスの擬古的な詩篇『ビリティスの歌』の抜粋を朗読し、それを伴奏するための室内楽(フルート2、ハープ2、チェレスタ)として構想された。古代ギリシアの遊女ビリティスが同性愛に彩られた奔放な人生を回想する、という甚だエロティックな詩の内容にふさわしく、1901年のパリ初演の舞台には半裸の女性たちが登場したそうな。ただし、わずか一回の試演会のみに留まったたため、この付随音楽「ビリティスの歌」はほとんど世に知られずに終わった。そのことを悔やんだドビュッシーはそれから十数年後、付随音楽の過半をピアノ連弾用に編曲し、「六つの古代碑銘」と名付けて刊行した。いずれ管弦楽版も創る心づもりだったというが、これは作曲家の病気と死によって実現することなく終わった。
小生の世代にとって、「六つの古代碑銘」といえば弦楽合奏版のほうが遙かに馴染深い。指揮者ジャン=フランソワ・パイヤールが1960年代に自ら率いる合奏団との演奏用に編曲した版だったが、ドビュッシー自身が手がけたと見紛うほどに精妙繊細な響きがして、多くの聴き手を虜にしたものである。来日公演でこれを聴いた吉田秀和は、「もしも世の中に最高の極めつけがあるとするなら、ルドルフ・バルシャイ編曲のプロコフィエフ『束の間の幻影』と、それからこのパイヤール版の『六つの古代碑銘』がまさにそれだ」と口を極めて絶賛していた。
それから幾星霜。今夜、このパイヤール版「古代碑銘」を実演で聴く機会を得た。
東京藝大チェンバーオーケストラ 第十回定期演奏会
2008年2月15日 19:00~ 東京藝術大学奏楽堂
指揮/ジャン=ピエール・ヴァレーズ
ピアノ/伊藤 恵
モーツァルト: 喜遊曲 ニ長調 K.136
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第23番
ドビュッシー (パイヤール編): 六つの古代碑銘
ラヴェル: 亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル: クープランの墓
素晴らしい宵だった。かすかに刻まれる弦の囁きが、吹き過ぎる微風のようにも、あえかな心の震えのようにも思えた。もう二度と聴く機会はないかもしれない。時よ、とどまれ、と人知れず念じた。