体調はいくらか回復傾向にあるようだが、何しろこの二日半ほど一切の固形物を摂っていないので、フラフラ立ち眩みがする。そこで今日も横になったままのCD鑑賞と相成った。一昨日、書きかけのまま中座したピエール・モントゥーのライヴ演奏を再度じっくりと味わう。
"Pierre Monteux in Boston"
ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1911年版)*
シュトラウス(ロジンスキ編): 組曲「薔薇の騎士」*
フランク: 交響詩「プシュケ」抜粋**
ブラームス: ピアノ協奏曲 第一番***
ストラヴィンスキー: バレエ組曲「プルチネッラ」****
ピエール・モントゥー指揮 ボストン交響楽団
ピアノ/リオン・フライシャー***
1953年4月11日*、54年1月29日**、54年1月28日***、57年1月19日****実況
West Hill Radio Archives WHRA 6012 (2007)
長生きしたから良かったけれど、モントゥーは永いことレコード産業から優遇されず、得意のレパートリーの多くは最晩年まで未録音のままだった。繰り返し取り上げたリヒャルト・シュトラウスがそうだったし、ストラヴィンスキーも三大バレエ以外は遂に収録の機会が得られなかった。ここにライヴ録音された五曲はいずれもモントゥー鍾愛の曲ばかりだが、まがりなりにも正規録音が残されたのは「火の鳥」とブラームスの協奏曲のみ。
今ではモントゥーがボストン、パリ、ロンドンなどに遺した実況録音が少しずつ聴けるようになって、彼のレパートリーの全容がようやく明らかになってきた。今回の二枚組では「プルチネッラ」組曲が初めて聴けるのが最大の呼びものだが、後述するように「火の鳥」や「プシュケ」も新知見を含む演奏なのである。
さて、まずその「火の鳥」組曲であるが、ストラヴィンスキーの三大バレエの他の二曲に比べ、モントゥーが実演で取り上げる回数は目立って少なかったようだ。彼自身がバレエ・リュスでの初演を振らなかった(指揮はガブリエル・ピエルネ。モントゥーは初演時の第一ヴァイオリン奏者だった)ため、愛着がやや劣っていたこともあろうか。これまで「1919年版」と註記された正規盤(パリ音楽院管弦楽団、1956)の(きわめて管弦楽の非力な)演奏で聴くほかなかったところに、今回このボストンでの強力にして雄弁な演奏が加わった意義は大きい。
「火の鳥」には初演時の全曲版(1910)のほかに、その抜粋である「1911年版」組曲、二管編成に直し、曲目を改めた「1919年版」組曲、最終的に管弦楽を改訂した「1945年版」組曲がある。
すべてストラヴィンスキー自身が手を加えたエディションなのだが、その優劣にはとかくの議論がある。周知のとおり、ストラヴィンスキーは最大の「ヒット作」である三大バレエの米国における著作権を喪失しており、その意味からも「演奏会ヴァージョン」としての「1945年版」を刊行せなばならぬ「台所の事情」があったのである。そのあたりをよく承知していたにもかかわらず、盟友たる指揮者エルネスト・アンセルメもピエール・モントゥーも、後年の改訂版の存在を無視し続けた。1945年版は明らかに改悪であり、音楽的に許せないという理由からだ。
ここで煩を厭わずに三つの組曲を対比しておこう。
1911年版 (原典版=四管編成)
1 導入部
2 カシチェイの魔法の庭
3 イワンに追われた火の鳥の出現
4 火の鳥の踊り
6 火の鳥の嘆願
8 金の林檎と戯れる王女たち
10 王女たちのロンド
18 カシチェイ一味の魔の踊り
1919年版 (改訂版=ニ管編成)
1・2 序奏
3 火の鳥の踊り
4 火の鳥のヴァリアシオン
10 王女たちのロンド(ホロヴォード)
18 カシチェイ王の魔の踊り
19 子守唄
22 終曲
1945年版 (再改訂版=ニ管編成)
1・2 序奏
3 火の鳥の前奏と踊り
4 ヴァリアシオン(火の鳥)
5 パントマイム I
6 パ・ド・ドゥー(火の鳥とイワン・ツァーレヴィチ)
7 パントマイム II
8 スケルツォ(王女の踊り)
9 パントマイム III
10 ロンド(ホロヴォード)
18 魔の踊り
19 子守唄(火の鳥)
22 終曲の賛歌
本CDの解説者ジョン・カナリーナに拠れば、「火の鳥」組曲についてモントゥーは自ら熟知する1911年版で奏することが殆どで、たまさか1919年版で演奏することはあったものの、1945年版は一度も取り上げなかった。モントゥーは指揮者学校の教え子たちに「彼は改訂を施すたびごとに、悪くしてしまっているネ」と本音を漏らしたという。
実をいえば、従来「1919年版」とされてきたモントゥー&パリ音楽院管弦楽団の正規録音(Decca, 1956)も、注意深く聴いてみると、曲目配列こそ「1919年版」に準じているものの、使用した譜面は紛れもなくオリジナルの四管編成のまま(「カシチェイ一味の魔の踊り」のトロンボーンのグリッサンドがないのが特徴)であり、1910年初演の当事者たるモントゥーが原典演奏に拘ったことが如実に窺われる。
この件について、信頼のおける唯一のモントゥー伝のなかでジョン・カナリーナはこう述べている。
モントゥーはほとんどいつも『火の鳥』の1910年原典版(の組曲)を演奏していた。これは作曲者が後年手がけた組曲版ふたつよりも大編成を要する版である。おそらく最初のオーケストレーションと後年のものとの最も明瞭な違いは、「(カシチェイ一味の)魔の踊り」における名高いトロンボーンのグリッサンドであろう。原典版にはこれは存在しない。1910年版には1919年版で省かれ、1945年版で復活した二曲、すなわち「パ・ド・ドゥー」と「スケルツォ(王女たちの踊り)」が含まれている。モントゥーは演奏会ではこれら二曲も併せて演奏していたのだが、この(1956年の)録音では省かれた。1910年版の組曲は「魔の踊り」で終わるが、モントゥーはさらに1919年版から「子守唄」と「終曲」を流用して曲を締め括った。この録音でモントゥーが1919年版を演奏したように記されているが、正しくは「殆ど1910年版」と呼ぶべき内容なのだ。
なるほど、それでよく理解できた。してみると、今度CDで出たボストン響との実況は、モントゥーが普段この曲をどのように演奏していたかを示す貴重なドキュメントということになろう。
聴き始めてすぐにわかった。これは実に引き締まった演奏であり、三年後のパリ・セッションとは雲泥の差。オーケストラの実力も、意気込みもまるで異なるのだ。モントゥーの指揮はいつもながら誇張を排した行き方なのだが、この曲をバレエ・リュスの舞台で何度も振った者ならではなし得ない臨場感と感興たっぷりの演奏はさすがだと思う。
上の引用でカナリーナが述べているとおり、モントゥーは1919年版で割愛されてしまった二曲、「パ・ド・ドゥー」と「スケルツォ(王女たちの踊り)」、すなわち「6. 火の鳥の嘆願」と「8. 金の林檎と戯れる王女たち」をきちんと奏しており、しかも「魔の踊り」のあとに「子守唄」と「終曲」を加えて、バレエの全容をほぼ辿れるように配慮している。もちろん楽曲のすべては1910年のオリジナル・スコアに基づいて奏される。纏めてみると、こうなる。
1911年版組曲 (原典版=四管編成)+「子守唄」「終曲」(同じく原典版=四管編成)
1 導入部
2 カシチェイの魔法の庭
3 イワンに追われた火の鳥の出現
4 火の鳥の踊り
6 火の鳥の嘆願*
8 金の林檎と戯れる王女たち*
10 王女たちのロンド
18 カシチェイ一味の魔の踊り
19 子守唄
22 終曲 *=モントゥー録音としては初出
この「モントゥー版」組曲がボストン響と正規録音されなかったのは残念であるが、今回出現した1953年の実況演奏はその欠を補って余りある。まことに胸のすくような名演なのである。王女たちが金の林檎を放り上げて遣り取りする「8.」の、なんと瑞々しい音楽であることよ。
二枚組CDの一曲目のレヴューに手間取ってしまった。何はともあれ、冒頭の「火の鳥」だけでも聴き逃がすべからざる稀有な内容である、という、ただその一事が言いたかっただけなのだ。病みあがりゆえ、今日はここまでにしておこう。