年若い友人が強く誘ってくれたので、万障繰り合わせて東京都交響楽団の定期演奏会に出向く。ぎりぎり開演に間に合った。
東京文化会館 午後七時~
東京都交響楽団 第656回定期演奏会Aシリーズ
日本管弦楽の名曲とその源流⑤ プロデュース:別宮貞雄
武満徹: 弦楽のためのレクイエム (1957)
武満徹: アステリズム~ピアノとオーケストラのための* (1968)
武満徹: ファミリー・ツリー(家系樹)~若い人たちのための音楽詩** (1992)
ルチャーノ・ベリオ: シンフォニア*** (1968‐69)
沼尻竜典 指揮 東京都交響楽団
ピアノ/小川典子*
語り/水谷妃里**
アコーディオン/御喜美江**
二期会マイスタージンガー***
よくできた意欲的なプログラムだ。前半はさながらタケミツ「早わかり」。すなわち、出世作→前衛時代→晩年の円熟(?)の変遷が誰の耳にもはっきりと聴き取れる。
最初の「弦楽のためのレクイエム」がいささか雑然たる演奏なのでひやりとしたが、「アステリズム」で持ち直し、「ファミリー・ツリー」は実に繊細でたおやかな響きを堪能。独奏者の人選にも手抜かりなく、ライヴならではの感興もたっぷり味わった。
そのうえでの感想なのだが、なぜ武満は最後にかくも甘美で感傷的な世界へと赴いたのだろう、という解けない疑問。ドビュッシーの晩年、プロコフィエフの晩年とのアナロジーで語りたくなるほどに、あまりにも柔和で、美しすぎる音楽に困惑を禁じえない。これが最後に彼の行きついた境地なのか。
休憩を挟んで後半のベリオは無性に懐かしい。1970年代のはじめ、学友に勧められてほぼリアルタイムでこの曲を知ったのだが、その時点では「引用の織物」というのか、あのコラージュ的な手法(マーラー、ドビュッシー、ラヴェル、ベートーヴェン、R・シュトラウスなどが断片的に聴こえる)が理解できずに困惑したものだ。久しぶりに耳にして、巧緻で機知に富んだ展開に今更ながら舌を巻く。ようやく「わかった」という気がした。すでに作曲から四十年(!)の時が過ぎ去って、愚鈍な小生の耳にも馴染んだという次第。いささか遅きに失したけれど、感慨もひとしおだ。
そんなわけで、現代音楽の夕にしては珍しく、懐古的な気分に深く浸されながら家路についた。