大晦日は型どおりに年越し蕎麦を食べたあとはもうTVも観ず、ホットカーペットに寝転んでひたすら読書。読みかけの本をなんとか年内に終わらせるべく集中。十一時を回ってようやく読了した。
ブレンダ・マドックス著、鹿田昌美訳、福岡伸一監訳
『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』
化学同人、2005DNAの二重螺旋構造は20世紀後半の最大の科学的発見(1953)である。それは遺伝子そのもの、ひいては生命そのものの基本構造を目に見える形で顕現する衝撃的開示だったからである。
1962年、ワトソンとクリックとウィルキンズの三人の生物学者にノーベル賞をもたらしたこの重大な発見の蔭で、不当に業績が過小評価され、人格まで貶められたひとりの女性がいた。彼女が熟練の技で鮮明なDNAのX線回析写真の撮影に成功し、その構造を捉えつつあったさなかに、発表前に写真を不正な手段で「盗み見る」ことでワトソンはDNAの二重螺旋構造を確信し、世紀の大発見へと繋がったのは、今では周知の事実となりつつある。
彼女については、「勝利者」たるジェイムズ・ワトソンの回想的著作『二重らせん』のなかで、気難しく厭味な女「ロージー」として悪しざまに描かれている。実にアンフェアなことに、反論の機会はなかった。ワトソンの著書が出た1968年の時点で、すでに彼女はこの世の人ではなかったからだ。彼女ことロザリンド・フランクリンはその十年前の1958年、三十七歳という若さで癌により夭折していた。
本書はロザリンド・フランクリンの出自をその遙か祖先にまで遡って精査し、英国に根をおろした富裕なユダヤ人一族の軌跡を辿り直す。英国人でありながらイギリス社会に常に齟齬や軋轢を感じ続けた彼女のありようを、ユダヤ系知識人の問題として理解しようとしている。
英米における優れた評伝がそうであるように、本書も徹底した資料収集の賜物である。フランクリン家の全面的協力を得て、彼女が家族に宛てた私信を詳しく読み解くとともに、関係者への徹底的なインタヴュー、現存する草稿類や関係文書の精査が行われた。
その結果明らかになったのは、英国では常に人間関係に問題を抱え、周囲から誤解や中傷を受け続けた女性と、国外(とりわけフランス)では水を得た魚のようにいきいきと活動し、多くの知己に愛された社交的な女性という、際立ってアンビヴァレントな二面性の併存であった。
もうひとつ、鮮明に浮かび上がるのは、目に見える証拠の緻密な積み重ねこそが科学であると頑なに奉ずるロザリンド・フランクリンの姿だ。論理の飛躍や、冒険的な仮説を忌み嫌い、揺るぎない実証こそがすべてだと彼女は考えた。DNAの螺旋構造の紛れもない証拠写真を撮影しながらも、そこから一足飛びに三次元モデルの構築へと歩を進めることを彼女は躊躇した。その前に精査し明らかにすべき点がいくつもあると考えたのだ。自らの直観を頼りに猪突猛進するワトソンとはまさに水と油の学風だったわけで、敷衍していうなら、徹底的に細心緻密な帰納主義者が天才的な閃きをもった演繹主義者に先を越されるという構図が透けて見える。
それにしても、ロンドン大学キングズカレッジでの彼女の置かれた境遇は同情に値する。共同研究者のウィルキンズとは全く反りが合わずに決裂、周囲にほとんど理解者のいない孤立無援の状況だったからだ。「ダークレディ」とはこのとき彼女につけられた渾名なのである。部外者のワトソンに彼女の撮った「決定的写真」を見せたのも、同僚ウィルキンズの仕業だった。
ただし、本書の著者はそれを女性差別の問題へと短絡させず、彼女を取り巻く複雑な人間模様や入り組んだ思惑へと分け入り、可能な限り客観的・総合的に事態をみつめようと努めている。この点が既存の評伝(アン・セイヤー『ロザリンド・フランクリンとDNA 盗まれた栄光』草思社)との大きな違いだろう。監訳者の福岡伸一氏が本書の解説で「彼女をもっともフェアに扱った評伝である」と評しているのは蓋し当然であろう。
四百ページに及ぶ大著であり、訳文にいささかの堅さ(と固有名詞の表記の誤り)があるが、それはまあ瑕瑾であり、読み進むうえでさしたる障害とはならない。福岡伸一氏の名著『生物と無生物の間』(講談社)の読者には特にお奨めしたい。