毎年のように思うことだが、九月から十二月までがあっと言う間だ。
半ばリタイアした生活なので基本的には閑雅な日々を過ごしている。そんな小生にも時として不意に慌しい緊張のひとときが訪れる。十一月後半から十二月はじめにかけての「プロコフィエフ騒動」がまさにそれで、自分でも驚くほど集中して調査と執筆にいそしんだ。ふと気づくと、もう年末になってしまった次第。例年なら大掃除やら片づけやらで忙しく過ごすべき年の瀬ではあるが、そんなわけで心静かにのんびりしていたいと希う。
今日は朝からモンテヴェルディの『オルフェオ』を聴いて過ごす。心洗われる思い。
未聴だったクラウディオ・カヴィーナ指揮、Ensemble La Venexiana の演奏だ。懇切な論考三本とリブレットを収めた新書版サイズの書物とCD二枚が組み合わされた瀟洒なセットである(Grossa Music GES 920913-E, 2006)。
倒産してふたつに分裂したナウカの後継書店である神保町の Nauka Japan から新着目録が届いていた。「プロコフィエフ 自伝 Prokof'ev, S., Avtobiografiya」(2007)という書目に目が留まる。どうせ読めはしないのだが、CD付きというのに惹かれて注文してしまう。まあこれも「自分へのご褒美」の一環である。
そうこうしているうちに昼になった。
食材を買いに外出したついでに書庫に立ち寄り、午後聴くべきCDを物色。どうしてもプロコフィエフを撰んでしまうのは一種の後遺症なのか。
プロコフィエフ: 組曲「キージェ中尉」+交響曲 第五番
キリル・コンドラシン指揮 NHK交響楽団
1980年1月25日、30日、東京・渋谷、NHKホール (実況)
NHK=キング KICC 3017 (2001)
コンドラシンの最晩年の貴重なライヴ。急逝する一年前にN響に最初で最後の客演を果たした際の演奏記録である。ソ連時代は同僚のロジェストヴェンスキーに花を持たせる形でほとんどプロコフィエフを録音しなかった彼だから、この二曲にしても他にいかなる音源も残されていない(らしい)。これで共演相手がアムステルダムやミュンヘンのオーケストラだったらどんなに良かったろう。はなから音楽にコミットする姿勢の乏しいN響に失望せずに聴き通すことの難しい演奏だ。さしものコンドラシンも「筆を選ぶ」のである。とはいうものの、さはさりながら、随所に抉るような勘所を設えつつ真摯に音楽を構築する姿勢は紛れもなくコンドラシンであり、脳内でこれをコンセルトヘバウの音に変換しながら聴く。
これだけでは寂しいので、亡命前の手兵との珍しいプロコフィエフもかける。
プロコフィエフ: 十月革命二十周年記念カンタータ*、スキタイ組曲「アラとロリー」
キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー交響楽団、ユルロフ国立合唱団*
1967、74年、モスクワ
Melodiya MEL CD 10 00981 (2005)
さすがにこちらは重厚かつ胸のすくような内容だ。とりわけ「アラとロリー」。綿密に統御されながら噴出する野蛮、とでもいおうか、同曲の数ある演奏の極北というべき名演である。「カンタータ」のほうは、スターリンのテクスト部分(nos. 8, 10)を欠く不完全版だが、もちろん傾聴すべき演奏である。これだけ意のままに統御できた楽団を棄ててまで亡命したコンドラシンの心中は察するに余りある…。
…とそこに、家人より「うるさい」の一喝があり、プロコフィエフ鑑賞会は急遽取り止め。そのあとはホットカーペットに腹這いになりながら、読みさしの大著の続きを読む。不遇な女性物理学者ロザリンド・フランクリンの詳細きわまる評伝だ。
背後に小さく流す音楽は、"The Music of Harold Arlen" という半世紀前(1955年)の知られざる名盤。後年ガーシュウィン研究家として名を成すエドワード・ジャブロンスキが製作したハロルド・アーレンのアンソロジー。ルイーズ・カーライルほかの(小生の知らない)歌手たちに混じってアーレン御大自らが唄うというゴキゲンなアルバムである。原テープ消滅のためLP盤からの覆刻であるが、とにかく演奏が素敵なのだ(Harbinger HCD 1505; 1998)。
50年代半ばまでにWalden というマイナー・レーベルから出た一連のアンソロジー・アルバムには、ほかにジェローム・カーン、コール・ポーター、ロジャーズ&ハート、ガーシュウィン集があり、どれも愉しい聴きものなのだ。今日はこのあと、これらを順番にかけて過ごすことにしよう。これならば同居人からも文句は出まい。